久爾駅(板付遺跡)へ、そして美野駅(博多駅)【官道04】
これまでの続きです。
前前々回そして前々回と、太宰府市国分地区にある東門跡を訪ねました。
そして前回は、東門跡から博多海岸へとのびる『東門ルート』について、いくつかの書籍と説明書きを読んでみたのでした。
今回は東門ルートを実際に辿ってみようと思います。
ではさっそくスタート。
東門ルートは博多海岸へと真っ直ぐのびる道筋だというお話があって、
また、東門ルートは日田街道の道程とかなり被っているというお話も。
それから東門を過ぎたあとは久爾駅(板付遺跡)を通り、美野駅(博多駅)を過ぎるとありましたので、まずは板付遺跡を目指したいと思います。
出発すぐのところでいきなり道は左右に分かれることに。ここは左でお願いします。左側がかつて日田街道だった福岡日田線の流れ。
(※日田街道を訪ねたお話はこちらでも!↓)
ちなみに日田街道は福岡日田線を軸に左右にいくらか振れ幅があります。右の脇道を通ったり、左の路地へ逸れてみたり。
今回はそこのところはざっくり割愛して、しばらく真っ直ぐ福岡日田線に沿って進んでいきます。
あら右に見えるのは、以前ランチメニューを楽しんだ『水城らあ麺』。
(※水城らあ麺を訪ねたお話はこちらで!↓)
九州自動車道をくぐって先へ進みます。
福岡まで14キロ。↓
御笠川に架かる大野城橋。↓
右隣りの橋で日田街道を辿る神の啓示、受けちゃったなあ。↓
(※日田街道のお話はこちらでも!↓)
大野城橋から見て左の先には、道真公が船を下りて上陸を果たしたと云う『水城老松神社』が鎮座します。↓
(※水城老松神社のお話はこちらでも!↓)
白木原5丁目の交差点。左へと続く道は、かつて英語の看板を挙げたお店が立ち並んでいたという「白木原ベース通り」。
(※白木原ベース通りについてはこちらの記事で!↓)
さらに先へ進んだこちらの信号を左へ進めば、企画展示が楽しい『大野城心のふるさと館』。
信号を渡った先には『まどかぴあ図書館』。
左から「楽」「知」「育」。↓
図書館の隣には『大野城市役所』。↓
錦町の信号を左へ進むと、
『西鉄春日原駅』それから『龍神池』があって、↓
(※龍神池のお話はこちらで!↓)
逆に右側へ入っていくと、
そこには日田街道辿りでも通った『新川緑地』がのびています。
新川緑地には『春日原停留所運動場道』の碑が立っており、
碑のそばには『黒男神社』が鎮座。
そのもっと奥程には『筒井の井戸』も。ずいぶん前に訪ねたお話をしたことがあります。
では福岡日田線に戻りましょう。
この辺りはかつて日田街道の『間の宿』のあった場所。
当時、通り沿いには木賃宿が立ち並んでいたそうで、
左へ少し入ったところには御茶屋の門柱跡がそっと残っています。
また『郡境界標』の碑が立つその向こうには、↓
あの例の歩道橋が福岡日田線を跨いでおり、
左の『雑餉隈恵比須神社』へとざっくり食い込んでいます。
そんなこんなでいよいよ『山田の交差点』へ到着。
日田街道はここで二手に分かれます。左へ進むと日田街道『中道ルート』へと続くことに。
今回は山田の交差点をそのまま駆け抜けます。
ちなみに交差点の左すぐには『木造聖観音立像』。↓
信号を渡り終えたそばには『らーめん東洋軒』。
炒飯セットが美味しかった思い出ぽろぽろ。↓
交差点を右に曲がれば『御笠の森』があります。
ひたすら続く日田街道の道程。そして東門ルートの官道。
こちらの交差点を右へ進めば、人面墨書土器で知られる『仲島遺跡』があって、
『仲島遺跡』の手前には『井相田宝満宮』が鎮座。
そんな井相田地区界隈を通り過ぎると、今度は右手に『福岡市埋蔵文化センター』の姿。
現在は休館中のようです。
そして福岡都市高を通り過ぎた先に!『板付遺跡』の案内を発見!左へ曲がれと云うている。
そういうわけで、ここで福岡日田線を離れ、ゆるやかに左へ入っていく。すると、↓
ふう。ようやく第一の目印に到着です。
ここ『板付遺跡』の地は、官道東門ルートにおける『久爾(くに)駅』だったとありました。
東門官道ルートは日田街道に被っているというお話を基にここまで歩いてきましたが、
別のお話では、筑紫通りとも被っているとあったんです。先ほど日田街道を左へ逸れましたので、
そのままゆるやかにさらに左へ逸れつつ、筑紫通りへと合流することにします(便宜上です!お願いします!)。
と爽やかに言い訳をしたところで、次回に続きます。よろしくお願いします。
【板付遺跡】
福岡市博多区板付2丁目12