雑餉隈で間の宿を探してみたけど【日田街道06】

こんにちは!今回も元気に連載『日田を辿って』第6話を始めたいと思います。

前々回は『博多街道』を辿って↓

福岡城から千年門を経由して山田の交差点へ向かいました。↓

そして前回は『中道通り』のルートを辿って

福岡城から薬院経由で山田の交差点へ向かいました。↓

これら二つのルートは、ここ山田の交差点で一つに合流し、ここから天領「日田」へとはるばる続いていくのである。

というわけで、今回は、合流地点である大野城市山田の交差点からスタート。

ちなみに交差点のそばには

以前訪ねたことのある『木造聖観音立像』(↑)があります。良かったら是非。↓

では福岡日田線に出て、しばらく道なりに進んでいきましょう。↓

通り沿いにはお地蔵さまがあったり。↓

そのちょっと先には↓

『雑餉隈恵比寿神社』(↑)が鎮座。↓

相変わらず存在感のある歩道橋!↓

通りの並びにはお城みたいな大きな建物があって、ここの敷地は『雑餉隈遺跡』でもあるとのこと。↓

このドデカいお城!の隣には「郡境界標」がポツンと哀しく立っており↓

「郡境界標」のそばには案内プレートも地面にはめ込んでありましたので↓

読んでみたいと思います。↓

那珂郡と御笠郡の間に立てられた郡境界標。1817年の江戸時代に立てられました。道路東側には「従是西那珂郡東御笠郡」西側には「文化丁丑歳四月」南に「筒井村抱」北に「井相田」

この石碑はレプリカだけど↓

『大野城心のふるさと館』には本物(多分)が展示されていて↓

こちらにはこんな説明書きも。伊能忠敬!!はじめまして!!↓

ちなみに、『ふるさと館』館内の郡境界標と同じスペースには、こんなパネルがあって↓

郡境界標の下には「間の宿」の写真。↓

このかつての御茶屋の跡が、今でも郡境界標そばにあるとかないとか。ないとかないとか。そこで、その痕跡を探しに↓

辺りをウロウロしてみたけれど、良く分かりませんでした。悲しみ。

 

駐車場前のこの石柱がその名残とか?どうでしょう。もし御存知のかたがいらっしゃったら、へえ良く御存知ですね、と言いたい。↓

さて、ここからは福岡日田線を左に逸れて、秦病院前を通っていくことになります。↓

小さな通りを渡ると、その先にはきれいに整備された『新川緑地』がしばらく続きます。↓

『新川緑地』について、さきほどの『ふるさと館』の説明書きには↓

そして、こう。↓

かつて運河が通っていたというこの道を

まったり進んでいくのであった。(※運河にまつわるお話はこちらでも!↑)

ちなみに、ここの角を左へ曲がると

『黒男神社』(↑)が鎮座しています。↓

通り沿いにはオシャレなオブジェが私の目を引く!でも、なにせ雨だから大変。↓

「大文字公園」を過ぎて↓

牛頸川を渡ったら↓

再び福岡日田線に合流。↓

この少し手前のところには、先述した『大野城心のふるさと館』があって↓

『大野城心のふるさと館』周辺というのは、「石勺遺跡」としても知られているそうです。↓

では先を急ぎます。小走りです。雨だから。

福岡日田線のこの辺りから再び福岡日田線を外れ、今度は右に見える細い道へと入っていくことに。↓

目印はレンガ造りの建築物。これはかつて使われた『消防ポンプ格納庫』なんだそうです。↓

小道をしばらく進んで↓

またまた福岡日田線に合流!?と思わせつつの、合流無しよ。通りをそのまま突っ切って↓

辺りを見渡すと、なんだか見覚えのある場所ではないです!?↓

直売所脇を過ぎて、御笠川にかかる下大利橋を渡れば↓

そう。ここは、本当のスタート地点。マイスタートチテン。↓

ここに立てかけられている案内地図を見て『日田街道』の存在を知り、さらに神の啓示を受けて

『日田街道』を辿り始めたのでした。↓

それはさておき。今日はもう雨止まないので、ここでお開きにします。もう帰りたい。↓

次回は、太宰府近辺まで行けるかな、の巻です。

続きはこちら!↓


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【日田街道 下大利橋近辺】

福岡県大野城市東大利4丁目1-3