この時期の雨は逆にマブい【日田街道06】
連載『日田を辿って』第6話の始まりです。
前々回は『博多街道』を辿り、福岡城から千年門を経由して山田の交差点へ向かいました。(→スタート地点にさえ立ってないけど【日田街道03】)↓
そして前回は『中道通り』のルートを辿って、福岡城から薬院経由で山田の交差点へ向かいました。(→君ならどちらのルートを選ぶのかい【日田街道05】)↓
これら二つの道は、ここ山田の交差点で一つに合流し、ここから天領「日田」へとはるばる続いていくのだった、でおなじみの私です。こんにちは。
今回は、合流地点である大野城市山田の交差点からスタートしたいと思います。
ちなみに交差点のそばには、以前訪ねたことのある『木造聖観音立像』がありますよ。(→追分は道が左右に分かれるところ【木造聖観音立像】)↓
それでは、福岡日田線に出て、しばらく道なりに進んでいきます。↓
通り沿いにはお地蔵さまがあったり。↓
そのちょっと先には『雑餉隈恵比寿神社』が鎮座。(→譲れない戦いでも譲っていい【雑餉隈恵比寿神社】)↓
相変わらず存在感のある歩道橋である。ねえ!!↓
通りの並びにはお城みたいな大きな建物があって、この敷地は『雑餉隈遺跡』でもあるらしいです。↓
そして、このドデカいお城の隣には「郡境界標」がポツンと哀しく立っていて↓
「郡境界標」のそばには案内プレートも一緒にありましたので↓
読んでみたいと思います。↓
那珂郡と御笠郡の間に立てられた郡境界標。1817年の江戸時代に立てられました。道路東側には「従是西那珂郡東御笠郡」西側には「文化丁丑歳四月」南に「筒井村抱」北に「井相田」。
この石碑はレプリカだけど↓
『大野城心のふるさと館』には本物が展示されていて↓
こちらにはこんな説明書きも。伊能忠敬!!はじめまして!!↓
ちなみに、その『ふるさと館』館内の郡境界標と同じスペースには、こんなパネルがあって↓
郡境界標の下には、「間の宿」の写真。↓
このかつての御茶屋の跡が、今でも郡境界標そばにあるとかないとか。ないとかないとか。ですので、その痕跡を探しに↓
辺りをウロウロしてみたけれど、良く分かりませんでした。悲しみ。
駐車場前のこの石柱がその名残とか?はてはて。↓
ここからは、福岡日田線を左に逸れて、秦病院前を通っていくことになります。↓
小さな通りを渡ると、その先にはきれいに整備された『新川緑地』がしばらく続きます。↓
『新川緑地』について、さきほどの『ふるさと館』の説明書きには↓
そして、こう。↓
かつて運河が通っていたというこの道を、まったり進んでいくのであった。(→私たぶんお小夜のこと知らない【白木原地蔵尊】)↓
ちなみに、ここの角を左へ曲がると『黒男神社』が鎮座してます。(→名前がイカついとビビりがち【黒男神社】)↓
オシャレなオブジェが私の目を引く!でも、なにせ雨。↓
「大文字公園」を過ぎて↓
牛頸川を渡ったら↓
再び福岡日田線に合流です。↓
この少し手前のところには、先述した『大野城心のふるさと館』があって↓
『大野城心のふるさと館』周辺は、「石勺遺跡」としても知られているそうです。↓
それでは先を急ぎます。福岡日田線のこの辺りから再び福岡日田線を外れ、今度は右に見える細い道へ入っていきます。↓
目印はレンガ造りの建築物。これはかつて使われた『消防ポンプ格納庫』とのこと。↓
小道をしばらく進んで↓
またまた福岡日田線に合流!?と思わせつつの、合流無・し・よ。通りをそのまま突っ切って↓
辺りを見渡すと、なんだか見覚えのある場所ではないですか!!みなさん!!↓
直売所脇を過ぎて、御笠川にかかる下大利橋を渡れば↓
そう。そこは、本当のスタート地点。↓
ここに立てかけられている地図板を見て『日田街道』の存在を知り、神の啓示を受けて『日田街道』を辿り始めたのでした。(→日田ってみれば!?【旧日田街道01】)↓
それはさておき。今日はもう雨止まないので、ここでお開きにしますね。↓
次回は、太宰府近辺まで行けるかな、行きたいな、の巻です。
よろしくどうぞ。
続きはこちら!(→分岐点での選択は失敗続きである【日田街道07】)
【日田街道 下大利橋近辺】
福岡県大野城市東大利4丁目1-3