関屋の鳥居は日田街道と参詣道の分岐点【日田街道07】
日田街道を辿る連載は今回で第7話目になります。
前回は、福岡県大野城市にある山田の交差点から歩き始め、そして↓
日田街道辿りのお告げを受けた、そもそものスタート地点である、
下大利小学校前までやってきました。もとい、
戻ってきたのでした。こんにちは。↓
では今回も元気に辿っていきたいと思います。↓
大野城市の「下大利橋」を渡ったら、下大利小学校正門前の道を真っ直ぐ進んでいきます。↓
地図で見ると、こんな具合。↓
ここからすぐ先の曲がり角を右へ進めば、
そこには、以前訪れたことのある『水城老松神社』(↑)が鎮座。
今回はそのまま真っ直ぐ進んで、
「都市高速」と「九州縦貫自動車道」が頭上を走る水城2丁目の交差点を渡っていきます。↓
そしてちょうど『水城らあ麺』(↓)の↓
お店の裏の通りを駆け抜けて、↓
すぐ先にある『水城跡』(↓)の交差点で、
再び福岡日田線に合流することに。
『水城館』(↓)そして「東門跡」を通り過ぎたら、
またまた福岡日田線から通りを逸れて、
『衣掛天満宮』(↓)が鎮座する、
こちらの小道を進んでいきます。
通り沿いには薬師堂があったり。↓
小路の少し先で↓
再び福岡日田線に合流したかと思えば↓
今度は右の小道へ入っていくことになります。くねくねしながら進んでいます。↓
ちなみに、この辺りは、
『八ちゃんラーメン』(↑)の裏手でもあって↓
この細い道をしばらく進むと、
右手に『苅萱の関跡』(↑)。↓
そこからすぐ先の左手には『蜂子地蔵尊』。↓
そばに案内板がありましたので↓
読んでみるとこうありました。↓
この付近の地名「関屋」は、中世に関所『苅萱関』に由来。前の通りは日田街道。関屋は太宰府天満宮参詣道が日田街道に合流する場所だったので、大変賑わったとのこと
絵図も参照。↓
さらにもう一つの絵図も参照。↓
そして目の前には大きな鳥居が。
この鳥居は参詣道入り口の石鳥居。一の鳥居。↓
そばにはいくつか石碑も並んでおり↓
その石碑の脇を通り過ぎていけば、そのまま日田街道へと道は続き↓
一方、『さいふまいり』をするため太宰府天満宮へと向かう場合は、鳥居をくぐって左手へ進むことになるわけです。↓
石碑のそばには案内板がありましたので↓
読んでみますね。↓
ここは日田街道と参詣道の分岐点。鳥居は文久2年(1862)に黒田藩主の黒田長溥による建立。また細長い道標には「是よりだざいふ参詣道」と刻まれています。常夜燈は九百年大祭にあわせて建立されました
そこで私は思うんです。↓
昔の人だって、日田街道を通る道すがらに、この関屋で立ち止まって↓
「さいふまいり」するとかしないとかで、仲間同士で言い争ったりすることもあったんじゃないかな。
で、私なら!?「さいふまいり」まいるのか!?まいらないのか!?どっち!?
お話の続きは次回です。よろしくお願いします。↓
【関屋の石鳥居】
福岡県太宰府市坂本1丁目2-15