分岐点での選択は失敗続きである【日田街道07】
日田街道を辿る連載【日田っていいとも】は今回で第7話目になります。こんにちは。
前回は、福岡県大野城市にある山田の交差点からスタートし(→この時期の雨は逆にマブいわ【日田街道06】)↓
そして私が日田街道の存在を知ったそもそものスタート地点(下大利小学校前)まで戻ってきました。(→日田ってみれば!?【日田街道01】)↓
再会で再開ってことで、今回も元気に行きたいと思います。↓
大野城市の下大利橋を渡ったら、下大利小学校正門の前の道を真っ直ぐ進んでいきます。↓
地図で見ると、こんな具合。↓
ここからすぐ先の曲がり角を右へ進めば【水城老松神社】が鎮座。(→道真公がやってきた【水城老松神社】)
今回はそのまま真っ直ぐ進んで、「都市高速」と「九州縦貫自動車道」が上を走る水城2丁目の交差点を渡っていきます。↓
そしてちょうど『水城らあ麺』のお店の裏の通りを駆け抜けて(→私も優勝してみたくなった日のラーメン【水城らあ麺】)↓
すぐ先にある「水城跡」の交差点で再び福岡日田線に合流します。(→大水城の東端からハロー01/03【水城04】)
「水城館」そして「東門跡」を通り過ぎたら(→ここを夢の国と呼ぶ人もいるだろう【水城館】)↓
またまた福岡日田線から通りを逸れて、『衣掛天満宮』が鎮座する小道を進んでいきますよ。(→鏡に映っているのが自分じゃなければ【衣掛天満宮】)
通り沿いには薬師堂があったり。↓
この通りの先で↓
再び福岡日田線に合流したかと思えば↓
今度は右の小道へ入っていきます。↓
この辺りは、『八ちゃんラーメン』の裏手でもあって(→やっと開いてた日のラーメン【太宰府八ちゃんラーメン】)↓
この細い道をしばらく進むと、右手に『苅萱の関跡』。(→繁氏という男よ【石堂地蔵尊】【苅萱の関跡】)↓
そしてすぐ先の左手には『蜂子地蔵尊』。↓
そばに案内板がありましたので↓
読んでみたいと思います。↓
この付近の地名「関屋」は、中世に関所『苅萱関』に由来。前の通りは日田街道。関屋は太宰府天満宮参詣道が日田街道に合流する場所だったので、大変賑わったとのこと。
絵図も参照。↓
さらにもう一つ参照。↓
そして目の前には大きな鳥居。
この鳥居は参詣道入り口の石鳥居。一の鳥居。↓
そばにはいくつか石碑も並んでいて↓
その石碑の脇を通り過ぎていけば、そのまま日田街道へと道は続き↓
一方、『さいふまいり』をするため太宰府天満宮へと向かう場合は、鳥居をくぐって左手へ進むことになるのであった。↓
石碑のそばには案内板がありましたので↓
さっそく読んでみることにしました。↓
ここは日田街道と参詣道の分岐点。鳥居は文久2年(1862)に黒田藩主の黒田長溥による建立。また細長い道標には「是よりだざいふ参詣道」と刻まれています。常夜燈は九百年大祭にあわせて建立されました。
とのこと。そこで私は思うんです。↓
昔の人だってね、日田街道を通る道すがらに、この関屋で立ち止まって↓
「さいふまいり」するとかしないとかで、仲間同士で言い争ったりしたんじゃないかな。
で、私なら「さいふまいり」どうする!?
続きは次回!よろしくどうぞ。
続きはこちら(→さいふまいる系?01/02【日田街道08】)
【関屋の石鳥居】
福岡県太宰府市坂本1丁目2-15