譲れない戦いでも譲っていいケース【雑餉隈恵比須神社】

前回の続きです。↓

さて、前回のお話に出てきました「六月堂」がなんのことかさっぱり分かりませんので、いっそ最初から無かったことにしたいです。こんにちは。

(※「六月堂」のお話はこちらにヒントが!↓)

今回は、福岡県大野城市にある『木造聖観音立像』を後にして↓

福岡日田線(県道112号線)に沿ってしばらく歩いてみることにします。

 

通り沿いにはさりげなくお地蔵さまがあったり、↓

『御笠・那珂郡境界標跡』が建っていたり。↓

こちらの『群境界標』の隣には、地面に埋め込まれたプレートの説明書きがあって、

さっそく読んでみると↓

那珂郡と御笠郡の境界に建てられた石碑。江戸時代(1817年)から平成9年までこの地に建てられていました

とありました。(※日田街道のお話はこちらでも!↓)

これはつまり、かつて日田街道だった「通り」の名残を示しているよ、とそういうことみたい。

 

(宿場町「間の宿」についてはこちらのお話も!↓)

そんな「福岡日田線」の通り沿いに、気になる神社を見つけたんです。聞いてください。↓

通りにドンと歩道橋が架かっていて↓

その通りの右手に鎮座するのが【雑餉隈恵比須神社】。なんだけど、

どうみても、↓

食い込んでいるんです。どちらかが。どちらかに。お互いに。

隣りは公民館で↓

こちらが社殿。↓

境内入り口のところに案内板がありましたので、↓

まずは読んでみたいと思います。↓

ご祭神は「事代主神(恵比須さま)」「火産霊神(愛宕さま)」。雑餉隈は中世以降、博多宿と二日市宿の中間に位置し旅籠や茶店や商店が軒を並べて繁栄した宿場町。

宿場町の鎮護の神として、商売繁盛の恵比寿さまと防火・賽の神である愛宕さまを勧請したのでした

宿場町とは、日田街道の宿場町ということですよね。ここは福岡日田線沿いですから。

正面からこんにちは。↓

こちらはイケメン狛犬。キリッキリリッ。↓

振り返ってみるとこんな具合。お互い譲らない。緊張感が漂っている。↓

せっかくですので、歩道橋を渡って向こう側へ下り立ってみることにしましょう。↓

ここから見て、通りのあっちに『木造聖観音立像』があって↓

こっち側のあっちには『郡境界標』がある。↓

そして遠くに見えるのは四王寺山。↓

(※四王寺山のお話はこちらでも!↓)

さくっと歩道橋を渡り終えたはいいんだけど、↓

通りに出ようにも↓

出れない仕様になっていて↓

したがいまして、元来た道へ戻るには歩道橋を引き返さなくてはならず、↓

そうすると、今度は絶対に神社の境内に寄らなくてはいけません。絶対に!!

神社も歩道橋もそして私も、3者ともどもが譲らない戦い!!

そんな殺伐とした、大野城市の午後の出来事!!終わります!!


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【雑餉隈恵比須神社】

福岡県大野城市雑餉隈町3丁目3-1