道真公がやってきたややややや【水城老松神社】
先日、福岡県太宰府市の水城地区に鎮座する【老松神社】を訪ねましたので、今回はそのお話です。
福岡方面から県道112号を太宰府方面へ進み、↓
西鉄白木原駅を過ぎてもさらにしばらく進みます。御笠川にかかる「大野城橋」があって↓
この橋を超えると、太宰府市内です。あらこんにちは。↓
この「大野城橋」から向かって右手をご覧ください。御笠川が流れる先に、緑がもわっと繁った場所があるでしょう!?↓
あちらが今回の目的地である【水城老松神社】。川の左側は通ることが出来ないようですので、右側の「清川通り」という小道を進んでいきます。↓
ちなみに右側に広がっているのは下大利団地。↓
そして「水城橋」を渡れば、あっという間に【老松神社】に到着です。↓
【老松神社】と名のつく神社は全国のあちこちにたくさんありますけれど、これはいったいどういうことなのか!?といいますと↓
それはつまり「天満宮」のご神木である「老松」が神格化され、全国に勧請されたということなのだそうで、
【水城老松神社】のご祭神は、やはり「菅原道真」。
境内は広くて解放感があります。↓
すぐ隣りには、ばーと田圃が広がっていて↓
境内奥には「庚申塔」や「西国第三十番札所」そして↓
「遥拝所碑」と書かれた石碑。↓
狛犬。ど、ど、ど、どや顔。ははー。↓
こちらは拝殿。↓
創建の由来は不明ですが、元々は「水城」地区の氏神として地域をお守りしてきた神社。
また、こんな言い伝えもあるらしいんです。↓
かつて菅原道真公は、大宰府へと左遷された際に、御笠川を船に乗って下ってきました。そしてここ「水城老松神社」の裏手から上陸したといわれています
そんな道真公とのつながりがあったことから↓
この地に【老松神社】が勧請されたのでは、というお話。
で気になるのは、その道真公が船を下りて上陸を果たしたという場所。↓
それはどうやらこの辺りらしいんだけど、よく分かりません。
ギブギブ。社殿裏の川沿いってことは確かみたいです。↓
川の対岸から見るとこんな感じ。↓
さて当の菅原道真公はといいますと、謀略にはめられて、はるばる大宰府の地へと下ってきました。その道中では様々な場所に立ち寄り、幾多の伝承を残しています。
以前訪れた太宰府市国分の『衣掛天満宮』(↓)もその一つ。↓
この【水城の渡し】から上陸した道真公は
こぼれる涙をふきながら現在の『衣掛神社』辺りを通り過ぎ
そして亡くなるまでの2年間を過ごしたという『榎社』(↓)へと向かったのである、ということなんでしょう。
【水城老松神社】
福岡県太宰府市水城1丁目20-11