誘われても行く気にならない【漱石の新婚旅行/小宮洋】

先日のこと。東京都豊島区にある『雑司ヶ谷霊園』を訪ねた時に、

夏目漱石のお墓を見つけたお話をしました。そしてそのことをきっかけに、福岡と夏目漱石の関わりを、私が知る範囲で振り返ってみたんです。

例えば二日市温泉の御前湯入り口には漱石にまつわる碑が建っており、筑紫野市観光協会のHPにこんな解説がありました。

「御前湯」の入口には「温泉(ゆ)の町や踊ると見えてさんざめく」の夏目漱石の歌碑。漱石が新婚旅行で訪れたときに詠み、正岡子規に送った歌

新婚旅行に福岡へ夏目漱石がやってきた?おやそう言えば『香椎宮』だとか、

こちら『二日市温泉』だとか、福岡のあちらこちらに、漱石が訪れたという痕跡を見つけたことがあります。

新婚旅行で来てたのか!それならばですよ。漱石夫妻がどこを訪ねたのか詳しく知りたい!

というわけで今回、こんな書籍を見つけましたので、そのお話をしたいです。

【漱石の新婚旅行/小宮洋著 海鳥社】

ではさっそく気になる箇所を参照させていただきながら(ありがとうございます)、読んでみたいと思います。

 

熊本第五高等学校(現熊本大学)の教授であった夏目漱石は、新婚3ヶ月になろうという時に妻鏡子と福岡県内を巡る新婚旅行に出かけます。

漱石29歳、鏡子19歳。

この旅行は福岡市に住む鏡子の叔父中根興吉への結婚報告を兼ねたもの(p30)

だったらしく、旅行の日程までは定かではないようです。ですが、この時期さかんに俳句を作っていた漱石は子規に送った句(10句)に、

「博多公園(東公園)」「箱崎八幡」「香椎宮」「天拝山」「太宰府天神」「観世音寺」「都府楼」「二日市温泉」「梅林寺」「船後屋温泉」

と前書きを記してあり、つまりこれらの地を訪問していたことが分かるわけです。そこで彼らの足取りを詳しくみていくと、↓

叔父の家を出た二人は東へ向かう。東公園それから筥崎宮、香椎宮を訪ね、翌日太宰府方面へ。天拝山、太宰府天満宮、観世音寺、都府楼址で句を詠んでいる(p36)

という具合。まず熊本から福岡へ向かい、そして福岡市の叔父の家を出て、↓

そこから松林の広がる『博多公園(東公園)』へ。

こちらで詠んだ漱石の句が、↓

初秋の千本の松動きけり

二人はそのまま東を目指し、

『筥崎宮』を訪ねます。

そこで詠んだ漱石の句が、↓

鹹(しお)はゆき露(つゆ)にぬれたる鳥居哉

こちらは現在の『筥崎宮』の鳥居。↓

『筥崎宮』からは上り列車で香椎へ向かったのではないか、と著者。

そして辿り着いた『香椎宮』での句がこちらになります。↓

秋立つや千早古る世の杉ありて

杉というのは香椎宮の神木「綾杉」。↓

『香椎宮』をあとに、夫妻は香椎駅から下り列車で二日市へ移動したと思われ、

そして『二日市(武蔵)温泉』に宿をとる夫妻。

先述にもあった『二日市温泉』での句がこちら。↓

温泉の町や踊ると見えてざんざめく

『二日市温泉』からは間近に『天拝山』を見ることが出来て、

その姿を詠う漱石の句。↓

見上げたる尾の上に秋の松高し

現在の天拝山山頂。↓

それから二人は『太宰府天満宮』へと足を向けることに。

その『太宰府天満宮』での句。↓

反橋の小さく見ゆる芙蓉哉

句の中の芙蓉は鏡子夫人をイメージしたもの?という説もあるそうです。

(※芙蓉についてはこちらの記事も是非!↓)

次に向かうは、『太宰府天満宮』から約2キロ程の距離にある『観世音寺』。

2キロという距離を鑑みて2人は人力車で向かったのでは、と著者。

観世音寺で詠んだ漱石の句。↓

古りけりな道風の額秋の風

(※『観世音寺』には、漱石の紹介で福岡へやってきた長塚節の歌碑があります↓)

『観世音寺』ほんのすぐそばにある『都府楼址(大宰府政庁)』へも足をのばす二人。

『都府楼址』で詠んだ漱石の句がこちらで、↓

鴫立つや礎残ること五十

現在の『都府楼址』の様子。↓

こうして太宰府地区を訪ね終えた二人は、次に久留米へと足をのばします。

久留米筑後川沿いの『梅林寺』を訪ねる漱石。『梅林寺』は著名な禅の修行道場であったそう。

『梅林寺』で詠んだ漱石の句。↓

碧巌を提唱す山内の夜ぞ長き

それから『船後屋温泉』へ行き、こんな句を詠んだあと、↓

ひやひやと雲が来る也温泉の二階

翌日熊本の自宅へと帰り着くのでした。

推定全5泊6日の新婚旅行。のちに妻鏡子はこの新婚旅行について、↓

其頃の九州の宿屋温泉宿の汚さ、夜具の襟なども垢だらけ、浴槽はぬるぬるすべって気持ちの悪いったらありません。それ以来、誘われても行く気になれませんでした(新家庭)

と語るのであった。終わり。(※全て書籍『漱石の新婚旅行』から参照させていただきました。ありがとうございます)