宰府宿は筑前21宿の一つとされて【太宰府天満宮01】
今年の秋頃のお話なんですが、福岡県太宰府市の宰府地区に鎮座する【太宰府天満宮】を訪ねましたので、今回から数回に渡って色々と思い出してみたいと思います。
子どもの頃から何度となく訪れている【太宰府天満宮】。
ですのでまあ、お久しぶりですこんにちはといった心持ちです。こんにちは。↓
さて西鉄大牟田線の二日市駅から、↓
太宰府線の電車に乗り込んで太宰府駅へと向かいます。↓
あっという間の到着で、↓
こちらが改札口。いつ来ても雰囲気がありますね。観光地!楽しみ!↓
まずは駅前の地図で位置関係を確認しておきます。↓
駅舎を少し離れた所からパチリ。今日も今日とてわりと賑わっている。↓
駅前の通りは「天神さま通り」。↓
その通りのすぐそばに「宰府宿」だとか参道にまつわる説明書きがありましたので↓
さっそく読んでみるとこうありました。↓
宰府の町は、平安時代に菅原道真公の御墓所の上に太宰府天満宮が創建された後、天満宮の発展とともに形成されました。江戸時代になると宰府宿は筑前21宿の一つとされ、大町地区を中心に旅籠が建ち並び、「さいふ参り」の人々でにぎわいました
(※「さいふまいり」のお話はこちらの記事でも是非!↓)
さて説明書きはもう少し続きます。↓
幕末には京都を追われた三条実美ら五卿が延寿王院に滞在したため、倒幕運動の拠点となり、宰府宿には土佐の中岡慎太郎や土方久元ら五卿の従者が数多く滞在したほか、西郷隆盛、坂本竜馬、月形洗蔵ら多くの志士が太宰府を訪れました
また↓
明治維新後、交通網の整備とともに宰府宿から旅籠はなくなりました
とのこと。馬場そして浦町通り。↓
大町そして小鳥居小路。↓
では先へ進みましょう。
向こうに見えるのが表参道。↓
ここからは歩行者専用道路。↓
修学旅行中の学生とか。↓
真っ直ぐ真っ直ぐ。↓
参道一の鳥居。↓
参道二の鳥居。↓
喧噪の波に流されるがままに、↓
ふと気づけば【太宰府天満宮】に到着です。↓
到着でもあるけれど、それはスタートでもあるのだ!!↓
というわけで、お話の続きは次回に!!よろしくお願いします。↓
【太宰府天満宮】
福岡県太宰府市宰府4丁目7-1