さいふまいる系?01/02【日田街道08】
福岡から日田街道を辿っている私は、前の回に(→分岐点での選択は失敗続きである【日田街道07】)↓
大野城市の下大利小学校前から太宰府市の関屋交差点まで歩を進めたのであった。こんにちは!↓
ここ関屋という場所には、日田街道から太宰府天満宮方面へと分岐するルートがあって↓
それは「さいふ参り」とよばれ、いわゆる太宰府観光コースとして機能していたらしいんです。↓
街道を往来した旅人たちも、その道すがら「さいふ参り」を楽しむのが一般的だったのだそうです。↓
それならば私もいざ、さいふまいるぜよってことで↓
さっそく始めたいと思います。
石鳥居をくぐり、歩道橋を渡って、太宰府天満宮を目指すのだ。↓
歩道橋の先の交差点角には『水城小学校』。こちらは軍隊の印の出土で知られています。(→だんだんいんぐんだんだんぐん【御笠団印/遠賀団印】)↓
その水城小学校前の「政庁通り」をしばらく道なりに沿って進みます。↓
こちらを左へ曲がってゆるやかな坂道を上れば『坂本八幡宮』が鎮座していて(→フィーバーはある日突然やってくる【坂本八幡宮】)↓
さらに政庁通りのすぐ隣には『大宰府政庁跡』。↓
さりげなく足元に『さいふまいり』の文字があったり。↓
大宰府政庁跡を左に見て、向かって右へ進む道が『朱雀大通り』で↓
政庁通りをさらに少し進めば案内板がある。↓
ここを右へ進めば『榎社』へと続く道。(→都府樓纔看瓦色 観音寺只聴鐘聲【榎社】)↓
あれやこれやとメジャーな史跡が建ち並ぶ通りを↓
「さいふまい」っている私です。こんにちは。今日は天気が良くて気持ちがいいな。↓
こちらは学校院跡で(→だいたい学校院に入院できない【大宰府学校院跡】)↓
『学校院跡』を山の方へ向かうと『武藤資頼資能供養塔』。(→そんなこととは露とも知らず【武藤資頼資能供養塔】)↓
さらに通り沿いには『戒壇院』があって(→山門までの雰囲気がいい戒壇院【観世音寺04】)↓
その隣りが『観世音寺』。(→紫陽花の花言葉は移り気【観世音寺01】)↓
そして奥には『宝蔵』もうっすら見えますね。見えます。(→ご対面してからがスタートな宝蔵【観世音寺03】)↓
通りのななめ向かいには↓
太宰府市役所があって↓
近寄ってみたら↓
入り口前に、いくつかの説明書きとか石碑がありましたので↓
その一つを読んでみると、こんな具合。↓
「さいふまいり」とは、太宰府天満宮に参詣するとともに、周辺の名所を巡ること。市役所前の県道は参詣道で、道幅は現在の半分もありませんでした。通りの北側には名所があって、南側には田んぼが広がっていました。
また↓
この参詣道は博多から太宰府天満宮を訪れる人が通る道。東へ行くと、御笠川が流れていて、そこで身を清めて宰府宿へ入っていったのでした。現在も由来を記した碑が建っています。
とのこと。こんな図もありましたので参照します。おもしろい。↓
さらに、そばの休憩所にも案内板があったので↓
こんな図や↓
こんな写真も参照。↓
都府楼跡は、いつでもやっぱりこんな感じなんだなあ。↓
日田街道を示した地図もありました。ほら、こういう風に分岐しているよ。↓
のんびり続く政庁通り。ここをかつて「さいふまいらー」達がお団子食べながらわいわい歩いていたのかもしれない。↓
お団子食べたい。
次回もよろしくどうぞ!!
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【太宰府市役所】
福岡県太宰府市観世音寺1丁目1-1