さいふまいる系?02/02【日田街道09】

前回の続きです。(→さいふまいる系?01/02【日田街道08】)↓

『番外編(さいふまいり)』ということで、引き続き太宰府市役所前からのスタートしたいと思います。↓

市役所前の政庁通りを少しだけ進むと、御笠川が流れている。↓

前回に市役所前で見た案内板には、この近辺に関するこんな記述がありました。↓

この参詣道は博多から太宰府天満宮を訪れる人が通る道。東へ行くと、御笠川が流れていて、そこで身を清めて宰府宿へ入っていったのでした。現在も由来を記した碑が建っています。

そこで、その碑なるものを探すべく、橋の辺りをウロウロしていると↓

ありましたよ、ほらこちら。↓

そばには説明書きもあって↓

読んでみるとこんな具合。↓

太宰府天満宮を中心とする宰府村は黒田藩が設けた筑前21宿の一つ。江戸時代には全国的に寺社詣りがさかんになり、太宰府天満宮を参詣することを「さいふまいり」とよんでいました。

そして↓

宰府宿の入り口のうち、博多方面の高橋口と宇美方面の三条口を、伊勢・紀伊・箱崎のお汐井で清め、その記念にこの碑が建てられました。参詣の人々はこの地で穢れを払い、宰府の町へ入っていったのである。

とのこと。↓

詳しい地図もありました。↓

さて、橋を渡った通り沿いの、五条交差点そばには『高橋口跡』の石碑が立っていて↓

その五条交差点の右向かいには↓

『金掛神社』が鎮座しています。(→梅の木には可能性がある【金掛天満宮】)↓

また、この政庁通りの先のカーブを真っ直ぐ進めば『石穴稲荷神社』に辿り着き(→磐座は神さまが宿る石のこととかいって【石穴稲荷神社】)↓

一方、カーブを道なりに進んでいくと「西鉄太宰府駅」そして「太宰府天満宮」に辿り着くんだけど↓

肝心の「さいふまいり」コースを辿るには、ここ『五条交差点』で左へ入っていくみたい。↓

この通り沿いには『蛭児尊』の石碑があったり↓

こちら『神牛塚』とよばれるものがあったり。↓

そしてお堂があって、この少し先で↓

いったん右へ曲がるんだけど↓

角の所には「横町」の石碑と↓

プレートに「どんかん道」と書いてあるよ。ん?「さいふまいり」と関係あるのかな。分かりません。↓

そのすぐそばに「井上哲次郎生誕地」の石碑があって↓

隣りのカクダイ醤油を過ぎたところで左へ曲がり「新町通り」へと入っていきます。↓

通りの入り口には『西正寺』があって↓

こちらには「新町公園」。↓

突き当りを↓

右に曲がれば「天神さま通り」で↓

ここから、ざざっとまっすぐ↓

『太宰府天満宮』の参道がのびていて↓

右手に見えるのが「西鉄太宰府駅」でござるよ。↓

ハロー!!こんにちは!!↓

駅前には、こんなオブジェや↓

説明書きがありましたので↓

読んでみますね。↓

宰府の町は、天満宮の発展とともに形成されました。江戸時代には大町地区を中心に旅籠が立ち並び、さいふまいりの人々で賑わいました。交通網の整備とともに旅籠はなくなりました。

とのこと。もう少し人も多くて賑やかだったけど、撮るタイミングによるのかな。↓

このまま参拝しようとも思ったけど、今回はさくっと関屋の交差点までUターンしたいと思います。↓

だからドロン!とか言ってね。↓

分岐点に戻ってきました。ってかね、梅ヶ枝餅買うの忘れた!!悲しみ!!



だけど、ふとこうも思ったんです。

いつの時代にも、そう江戸時代にだって、なんだか冴えない人は一定数いた筈。

そういう人はだいたい、頼まれていた梅ヶ枝餅を買い忘れていたに違いない。そして、みんなにがっかりされたりしてね。↓

そう思うと、がぜん親近感湧いてきたー。「さいふまいりの巻」完。
日田街道の続きはこちらです!(→運河と街道は被ってたりとか【日田街道10】


【西鉄太宰府駅】

福岡県太宰府市宰府2丁目5