フィーバーはある日突然やってくる【坂本八幡宮】
福岡県太宰府市の坂本地区に鎮座する【坂本八幡宮】を訪ねてみましたので、今回はそのお話です。
元号『令和』にゆかりのある場所ということで、以前から名前だけは聞いており、今回ようやくの訪問となりました。こんにちは。
大宰府政庁跡の脇のゆるやかな坂道を上って【坂本八幡宮】へと向かうわけですが、↓
その手前にある政庁跡前の通り沿いには『大伴旅人』の歌碑があって、さっそく読んでみると、↓
「やすみしし わご大君の 食国は 倭も此処も 同じとぞ思ふ」↓
とありました。ぽかーん。それはさておき、
とっとと政庁跡前の通りから山の方へ向かって歩いていくことにします。しばらく続くゆるやかな上り坂。
右側に見えるは政庁跡。↓
しばらくすると
うっすら見えてきました。【坂本八幡宮】。↓
想像していたよりもずいぶん小じんまりしています。いい感じ。↓
近くに駐車場もあるみたい。↓
現在は、改元当初の熱狂も落ち着いたようで、ずいぶんのんびりした雰囲気が漂っています。
ところで、ですよ。ここ【坂本八幡宮】と元号『令和』にはつながりがあるそうなんですが、それっていったいどういうこと!?
境内にあった説明書きを参考にしつつ、↓
少し調べてみました。聞いてください。↓
遠い昔、730年に大宰師(大宰府政庁長官)だった大伴旅人が『梅花の宴』を開きました。
その時に詠まれた『梅花の句』は万葉集に収められ、その序文にある『初春令月、気淑風和(初春の令月にして、気淑く風和ぎ)』を典拠としたものが、元号『令和』なり
とのこと。で、ですよ。
その宴が開かれたという大伴旅人の邸宅(梅園)のあった場所が、この【坂本八幡宮】の敷地かも!?しれない!?
つまりこういうことっぽい。連想形式にまとめてみました。こんな感じ。↓
令和→万葉集→大伴旅人→大宰府政庁長官(大宰師)→職場は大宰府政庁→通勤に便利→できれば近くに住みたい→政庁そばの立地→坂本八幡宮。(私調べ)
たしかに【坂本八幡宮】は大宰府政庁跡からすぐそばの場所に鎮座。
ですが、候補となる邸宅の場所は他にもいくつかあって、今のところ定かではないんだそうです。
つまり現在の立ち位置をざっくり言うならば、『坂本八幡宮界隈』のどこかしらに、旅人の邸宅があったっぽい、っぽい!?(wikipedia:坂本八幡宮の項を参照)といった感じ。
さて境内には小ぶりな鳥居の姿。↓
こちらは猿田彦大神。↓
そして拝殿。↓
拝殿内には令和の文字を確認できます。↓
すぐそばに縁起書きがありましたので、↓
読んでみたいと思います。↓
【坂本八幡宮】は地区の土地神・産土神で、ご祭神は「応神天皇」。
坂本地区には平安時代に天台宗の『善正寺』があって、その境内には八幡宮が祀られていたと。寺院はのちに廃れたけれど、八幡宮は村の鎮守として再興されたのであった
とありました。
またこちらの↓
『がらんさま』というのは↓
天台寺院の故地によく見かけられるもので、寺の中心地や結界となる境に置かれる事がある
とのことだそう。
さらに境内の隅にはまたしても『大伴旅人』の万葉歌碑が。↓
「わが岡に さ男鹿来鳴く 初萩の 花嬬問ひに 来鳴くさ男鹿」
(意:萩の花が咲き初める初秋、牡鹿が牝鹿を求めて鳴く求婚の甲高い声にも、妻を想う自分の心を重ねずにはいられないのであった。)
と記されており、その隣りにはドンと『令和の碑』が立っていて、そこにはもちろん↓
『大伴旅人』の歌が刻まれているのであった。といったところで、
ようやっと参拝を終えましたので、
周囲を少し散策してみようと歩いていたら、↓
少し離れたこちらにも『大伴旅人』の歌碑が。↓
「世の中は 空しきものとしる時し いよよますます 悲しかりけり」
そう、大宰府は大伴旅人であふれている。ここは大伴旅人界隈であり、大伴旅人の世界。お話は次回に続きます。↓
【坂本八幡宮】
福岡県太宰府市坂本3丁目14-23