お城に行く用事はそうそうない【福岡城11】
前回の続きです。↓
前回、福岡城の『天守台』から下りた先に続く、『南の丸』エリアや『二の丸』エリアの、↓
その裏側というか外側をウロウロと怪しく徘徊しながら、↓
お城の周りをグルリと半周し終えて、↓
スタート地点である「舞鶴公園入口」まで戻ってきたのでした。こんにちは。↓
ということはつまり、ここしばらく続いたお城の散策も今回でおしまいとなります。
最終回って時になんなんですが、「福岡城」とはいったいなんなのか、いまさらながら復習してみようと思います。↓
書籍『古写真で読み解く福岡城』から、要約して参照させていただくと(ありがとうございます)、↓
豊臣秀吉による九州平定後、黒田官兵衛(孝高)a.k.a如水は豊前の領土を与えられ、その地に中津城を築城します
そしてのち↓
関ヶ原の戦いでの功績で、今度は黒田長政が筑前の領地を与えられ、名島城に入城します
ですが↓
名島城の立地問題をあきらめた長政は、あらたに那珂郡警固村福崎の地に福岡城を築城したのであった
また福岡城以外にも↓
若松城・黒崎城・鷹取城・益富城・松尾城・麻底良城という支城があって「筑前六端城」とよばれたけれど、一国一城令によって廃城になりました
ということなんだそう。(書籍『古写真で読み解く福岡城』を要約参照)↓
さてそれではそろそろ「舞鶴公園口」を出て、↓
これまでの歩みを振り返りながら、ぶらぶら『福岡縣護国神社』前のバス停まで歩いていきたいと思います。なぜならそこで散策を〆たいから!!
では出発です。「福岡舞鶴線」の通りを渡って右へ進んでいくと↓
外堀のところに「下之橋御門跡」があって、そばに「伝・潮見櫓」がありました。
この「伝・潮見櫓」は、のちの研究で「太鼓櫓」だろうと考えられているみたい。また「潮見櫓」の本来の位置は現在の位置ではなく「三の丸北西角」だとありました。↓
ここでUターンをして南へ。こちらは黒田官兵衛が晩年を過ごしたという「黒田如水隠居地(三の丸御鷹屋敷)」。↓
現在は「舞鶴公園牡丹・芍薬園」として開放されていて↓
その左隣りには「旧母里太兵衛邸長屋門」。↓
脇の道から奥へ進めば「名島門」。もと「名島城」の脇門です。↓
そのまま道を少し逸れていくと↓
「三の丸スクエア」という施設があって↓
ここから「名島門」を横から見たら、こんな感じ。↓
横だけにサイド。再度「福岡舞鶴線」へと戻ります。↓
この辺りにはかつて「追い廻し御門」があって↓
その上には『多聞櫓』のああ美しい姿よ。↓
通りを先へ進むと、
突き当りに『護国神社』(↑)が鎮座しており↓
交差点そばには池と↓
バス停があるのであった。完。↓
お疲れ様でした。全てがようやくおしまいです。
楽しかったですか!?え!?↓
読んで下さりありがとうございました。
【福岡城】
福岡市中央区城内1