できることならば祟らないで欲しい【綱敷天満宮】
先日、福岡市博多区の綱場町に鎮座する【綱敷(つなしき)天満宮】を訪ねましたのでそのお話です。こんにちは。
福岡市都心部の辺りから少し通りを入った街の狭間に鎮座する【綱敷天満宮】。
『天満宮』ということなので、ご祭神は「菅原道真、道真公」。
菅原道真は、かつて藤原時平の謀略によって大宰府に左遷され、残された人生を悲しみにくれて過ごしたと伝えられています。
その大宰府へ下る道中に道真公が立ち寄ったとされる場所は数多くあって、それらは現在も史跡としてあちこちに残っています。【網敷天満宮】もその一つで↓
博多の袖港(そでのみなと)に道真公が上陸した際、地元の漁師が舟の綱を輪にして敷物を作り、道真公を出迎えたのです。
というエピソードから、この『綱敷』という言葉が生まれたのだそう。ちなみに初めは『綱輪』天神ともよばれていたとのこと。↓
時代とともにその『綱輪(つなわ)』がなまって、「綱場(つなば)」となり
その地が『綱場町』になりましたよと。これが、現在も使われている町名のルーツ。
さて。先述しました道真公が上陸したという『袖港(そでのみなと)』と呼ばれる場所は、現在の「博多リバレイン」がある辺りとされていて↓
その場所を訪ねてみると「渡唐口跡」の石碑が建っています。(→やつれ姿のかすむ春かな、かな!?【鏡天満宮】)
道真公は、この地からさらに大宰府へ向かって下っていって
そして「榎社」にて失意のうちに最期を遂げることになったのでした。その道真公の死後、彼を左遷した関係者は次々に死んでいき、世は乱れに乱れます。
これはまるで道真公の祟りが天に満ちたようだわ!!とかいって、人々はびびりまくる。(→都府樓纔看瓦色 観音寺只聴鐘聲【榎社】)
そこで、怒り狂っている(と思われる)道真公に対し、どうか勘弁してくれない!?とお祀りしたのが『天満宮』だそう!?で↓
このお話を聞いて、私はちょっとピンときたことがあるんです。聞いてください。
それはつまり、温厚な人ほど、怒らせると怖い!!そして温厚な人が怒ったら、お祀りすればなんとかなるかもしれない!!終わり。
【綱敷天満宮】
福岡市博多区綱場町5-7