ご対面してからがスタートな宝蔵【観世音寺03】
前回の続きです。↓
前回、私は福岡県太宰府市の【観世音寺】を訪ねたんですが、楽しみにしていた「日本最古の梵鐘」とのご対面は失敗に終わったのであった。↓
ですが今回、【宝蔵】を見学するという楽しみがあるので、プラスマイナスで考えると心的ダメージははっきりいってゼロに近いのだ!!こんにちは。
【宝蔵】もまさかの閉館中だったら、心的ダメージは計り知れないです!!↓
さっそく奥へ進むと案内が出ていて↓
こちらの立派な建物が【宝蔵】。↓
ところでいったい【宝蔵】とはなんなのかといいますと、かつて【観世音寺】の講堂には巨大な仏像が並んでいたけれど、数々の被災から守るべく、1959年に正倉院風の建築物である【宝蔵】が造られて↓
仏像はそこへ収蔵されることになったということだそうです。↓
近くまで寄ってみます。入り口までは写真を撮ることができるけど、館内は撮影禁止。
まず靴を脱いで、1階フロアでチケット(拝観料)500円を購入。階段そばには【観世音寺】の絵図。
そして階段をのぼった2階には、巨大仏像がどどどーんと並んでおり、それは感動で迫力。ちなみにこちらには、平安時代から鎌倉時代にかけての仏像18体のうち16体が安置されていると。
フロア全体に仏像が並び、お香が室内の雰囲気を盛り上げます。音声ガイドも詳しくて良かったんですが。私はいまいち分かってません。↓
そこで、書籍『観世音寺の歴史と文化財』と『福岡県の仏像』を参照して、仏像に関するお話を引用しつつ、私が頑張って描いたお洒落なイラストを添えて見ていくことにします。↓
「木造地蔵菩薩立像」。↓
10世紀頃の樟材の一木造り。全ての衆生の苦を取り除くため、僧侶の姿で歩き回り衆生を救う
「木造毘沙門天立像」。↓
樟材の一木造り。甲冑で身を固め、地天と称する女神に支えられている。左右にニ鬼が従っている
「木造地蔵菩薩半跏像」。↓
樟材の一木造り。11世紀頃の作。岩座に座り左足を下げてゆったり座っている。半跏像
「木造十一面観音立像」。↓
頭上に十一あるいは十の顔を持っている。桧材の寄木造り
「木造聖観音坐像」。↓
桧材の寄木造り。長らく講堂主尊であった。1066年の造像。体内に僧や大宰府の官人とみられる人名がある
「木造十一面観音立像」。↓
頭部に十一面をつける観音。数多い明晰な頭で衆生を救ってくれる
「木造馬頭観音立像」。↓
桧材の寄木造り。頭上に馬頭。忿怒の相、八本の腕。はげしい怒りによって人々を苦しみから救う
「木造不空羂索観音立像」。↓
樟材の寄木造り。三眼、八本の腕。不空とは大慈の心で衆生を残らず救済するという意味
「木造阿弥陀如来坐像」。↓
樟材の寄木造り。平安時代後期のもの。極楽浄土で往生者を迎える仏
「木造四天王立像」。↓
阿弥陀如来座像に随侍する四天王像。持国天、広目天、増長天、多聞天。いずれも桧材の一木造り
「木造大黒天像立像」。↓
樟材の一木造り。本来、大黒天は戦いの神。11世紀の造像。日本に現存する最古の大黒天像で、最大の古像でもある
「木造十一面観音立像」。↓
桧材の一木造り。鎌倉時代の再興像
「木造吉祥天立像」。↓
桧材の寄木造り。唐服を着けた貴婦人の姿の吉祥天は福徳の女神。吉祥天の古像としては我が国最大
以上で、ホールに立ち並ぶ仏像の紹介はおしまい。
私のイラストに惑わされることなく、ぜひ素晴らしい本物の仏像とご対面していただきたい。
宝蔵には他にも「舞楽面」という、舞楽に使われた面も収蔵されていました。
【観世音寺】
福岡県太宰府市観世音寺5丁目6-1