だんだんいんぐんだんだんぐん【御笠団印/遠賀団印】
先日のことです。以前にも訪れたことのある↓
福岡県太宰府市の
坂本地区に鎮座する『坂本八幡宮』の↓
その近辺をのんびりウロウロ散策していると↓
「うらやま」!!は置いておいて、いつのまにか「坂本公園」に辿り着いていたのであった。こんにちは。↓
歩き疲れたので、よっこらしょとかじゃなくて、おふぅとかそんな声を出してベンチでしばらく休憩して↓
ようやく動けるようになったので、公園の少し先に立っている案内板をのぞいてみることに。↓
するとそこには「御笠団印出土地」と書いてありますよ。団!?団団!!団、団団団。印。団。印。↓
これは気になります。そしてつい口ずさんでしまう不思議な語感。出土地はここからとのことなので、さっそく訪ねてみることにしました。↓
少しだけ通りを進んでいくと案内板があって分かれ道。↓
左の路地を入っていくと↓
空地といっては失礼かもだけど、そんな場所に↓
説明書きが立っています。↓
読んでみるとこんな具合。↓
御笠団印出土地。701年の大宝令に定められた軍団(軍隊)の印判が発掘されたところである。軍団は全国に置かれていて、普通、一軍団は兵士千人で構成。それらは成人男子3人に1人の割合で徴発
そしてこんな記述もありました。↓
平安時代初め、筑前国(福岡)には4軍団あり、この印にある「御笠軍団」はそのうちの一つだったと考えられています。近くの水城小学校からは遠賀軍団の印が見つかっています
分からないなりにも、頑張ってまとめてみると↓
法律が定められて、団が出来ました。団というのは、地方都市にそれぞれ置かれた軍のこと。兵士は徴兵制度によって集められました。福岡には全4軍団あったとされ、それらの軍団が公的に使っていた印が、4軍団中2軍団分発見されています
こんな感じでしょうか。もう少し詳しく調べてみると↓
「御笠団印」は昭和2年(1927)に、水城村(現在太宰府市)坂本の桑畑から偶然発見され、現在は東京国立博物館が所蔵しています
ということみたい。
せっかくですので、先ほどのお話に出てきた「遠賀軍団印」発掘の地とされる『水城小学校』も、訪ねてみたいと思います。↓
政庁通りを太宰府方面とは反対方向に真っ直ぐ進むと
関屋交差点の角に辿り着いて、そして向こうには鳥居が見えます。↓
そしてこちらが、水城小学校の校門。目的に到着です。でもね、どうやら碑は学校の敷地内にあるらしいんです。それはつまり近づき難しである。(ちなみに休日の訪問です)↓
歩道橋からも攻めてみたけど、碑の背中しか見えません。↓
そこで、校門外側から、角度を駆使ししてちらっと失礼してました。(ちなみに休日の訪問です)↓
また「遠賀軍団印」について詳しく調べてみると、こんな記述が。↓
遠賀団印出土地。今から1300年前の軍隊(軍団)の印鑑です。軍隊の数は数百人から千人とされ、一家に一人は徴兵されたと考えられます。明治32年(1899)に水城小学校(当時は御笠北高等小学校)で掘り出されました
そこでふと思ったんですけど、福岡で4軍団しかないのに、そのうちの2軍団がずいぶん狭い範囲に偏っています。
そして、とにかく名前の響きがたまらない。軍。団。印。団。印。軍。軍。軍。↓
かつての軍団の人たちも、たまらずきっと口ずさんでいたと思う。そんなリズムがある。
【御笠団印】
福岡県太宰府市坂本3丁目23-15
【遠賀団印】
福岡県太宰府市観世音寺3丁目13-1