博多遺跡群は那珂川御笠川の砂丘に立地【官道06】

前回の続きです。

前回はといいますと、官道の東門ルートを板付遺跡まで向かったあと、今度は筑紫通りへと路線を変えて進み始め、

かつての『美野駅』(現在のJR博多駅界隈)までたどり着いたのでした。こんにちは。では今回、JR博多駅からのスタートとなります。

ちなみにここJR博多駅からのルートは、筑紫通りに変わって大博通りを歩いていくことになります。ビジネス街を駆け抜けますよ。↓

大博通り沿いの、↓

こちらの交差点を右へ進めば

『出来町公園』、それから

『承天寺』、↓

さらには『乳峯禅寺』の姿も。以前訪ねたお話をしました。

とか言ってると、おや、見覚えのあるオブジェが目の前に。

そうそう、これ。天神の渡辺通り沿いの歩道で見つけた、

福岡市の姉妹都市が記されているボラード。↓

通りの先には、

まず『龍宮寺』があって、

すぐのところに『櫛田神社』の大鳥居と、

多くの観光客。

鳥居のすぐ隣には、

『加藤司書自刃の地』の碑が立っています。

さらに先へ進むと、

『おポンプ様』。

そして通りの角に『地下鉄呉服町駅』入り口。ここから大博通りを右へ渡ったところに、

『袖の湊』にまつわる説明書きを以前見つけたことがあって、

大変興味深く読んだことがあるんです。

その説明書きによりますと、

中世時代、現在地の東側は入り海で、これを挟んだ北側の一帯は沖浜(息浜)と呼ばれました

その図がこんな具合。

さらに言うと、『袖の湊』にまつわる記事内で『福岡市埋蔵文化財センター』内の情報にも触れたことがあって、それがこちらの図になります。↓

それから説明書きを参照しますと、↓

博多遺跡群は、那珂川・御笠川の砂でできあがった砂丘の上に立地。国道202号線をはさんで北が「息の浜」、南は「博多浜」。博多の地に整備された街が出現するのは8世紀以降で、南北方向の溝に囲まれた役所的な施設が考えられます

とありました。その様子を現在の地図と照らし合わせてみるとこんな具合になり、↓

水城東門跡で見た写真をいまいちど確認してみると、『博多遺跡群』の名前があります。

そしてこの辺りが、おそらく『博多遺跡群』界隈。つまり東門ルートの最終地点であり、

東門ルートはここでおしまい!?でいいとも!?お疲れ様でした。だがしかし!

せっかくですし、行けるところまで行っちゃいましょう。というわけで、

『博多小学校』横を通り過ぎ、

『那の津通り』を越えて、↓

さらにしばらく北へ進むと、↓

『ぴあトピア緑地』に到着です。

ここでは以前、フランク・オガワとの出会いがありました。

そして海。東門ルート官道辿りはこれにて終了です。もしも間違いがあったなら、その都度こっそり修正していきます。

ではご清聴ありがとうございました。次回は西門ルートを辿りたい。よろしくお願いします。

【JR博多駅】

福岡市博多区博多駅中央街1-1