安部大富いわく、これは国が栄える前兆だ【龍宮寺】
先日、福岡市博多区の大博通り沿いにある【龍宮寺】を訪ねましたので、今回はそのお話です。
大博通りの向かいには、↓
木造座像の大仏で知られる、『東長寺』(↓)の姿を確認することができます。そんな場所。
さてこちら【龍宮寺】には、人魚にまつわるお話があるとききました。
お寺の名前にも『龍宮』とありますし、気になります。
人魚伝説といえば、古今東西世界中にたくさんあって、ざっとネットで調べてみても↓
『ローレライ』『セイレーン』そしてアンデルセンの『人魚姫』
最近でいうと『リトルマーメイド』もそうですよね。↓
山門前に説明書きがありましたので、さっそく読んでみることにします。↓
【龍宮寺】は冷泉山と号し、浄土宗鎮西派に属します。創建当初は、袖湊の海辺にあり『浮御堂』と称されました。貞応元年(1222)、博多津で捕えられた人魚は吉兆として当寺に納められました
【龍宮寺】はかつて『浮御堂』と呼ばれ、別の地(袖湊の海辺)にあったということですが↓
人魚に関してはざっくりとした記述しかなくて、さっぱり分かりません。そこで再度ネットで調べてみると↓
貞応元年(1222年)のある日、博多の入り江に巨大な人魚が流れ着きました。
その大きさたるや八十一間(約145.8m)
例えばホームランを打った時に145mの飛距離だと、「特大場外ホームラン」っていうくらいのサイズ。とにかく大きい!
人魚のお話はもう少し続きます。↓
報告を受けた「後堀河天皇」が占い師の「安部大富」に占わせたところ、『これは国が栄える前兆だ』とかいう。
そこでただちに「冷泉中納言」を勅使として博多へ下向させたのでした
はるばる博多へやって来た「冷泉中納言」ですが、到着した時には人魚はすでに死んでしまっていたのです↓
そこで町人らは「冷泉中納言」が滞在したという『浮御堂』(←龍宮寺のこと)の傍に人魚塚を建て、人魚の骨を埋葬。
この人魚の出来事をきっかけに、『浮御堂』は【龍宮寺】へと改称。のち1600年に現在の場所で再興されました
とのこと。【龍宮寺】の前身である海辺の『浮御堂』は、満潮時に海水が寺内に入ってきたことから、そう名づけられたとか。
また、博多へやってきた「冷泉中納言」の名前は、福岡市中央区にある「冷泉地区」として現代にも名前が残っています。
こちらは博多区店屋町にある『楊ヶ池神社跡』。袖湊の入江の跡が小さな池として残り、そこにあった小さな祠が1765年に神社として再建。↓
一方、先述の『浮御堂』は、袖湊の海辺にあった小さなお寺で、1600年に現在の場所へ遷座。神社とお寺で違うけど、どちらもこの辺りに存在していたみたい。↓
(※袖湊のお話はこちらでも!↓)
その『浮御堂』のそばに建てられた人魚塚は、霊験あらたかな石とされ、多くの人々から削りに削られ飲みに飲まれて、結局飲みつくされてしまいました。現在の人魚塚は昭和33年の再建。
また【龍宮寺】本堂には『人魚の骨』『人魚の掛け軸』が保管されており、予約すると見学することが出来るとか!?出来ないとか!?(※要確認お願いします)
境内には『三宝大荒神社』も鎮座。↓
『三宝荒神』とは火と竈の神様。
こちらは聖観世音菩薩を祀る『観音堂』で、↓
『博多七観音』の一つ。
ところでちょっと聞いてください。
先述の博多人魚の言い伝えには、また別のお話もあるらしいんです。↓
博多の庄の浦でミソミという美少女が毎日海を眺めていました。
ある時、見知らぬ男子があらわれてこう言います。「迎えにきたよ」
普通の女子なら「え待って?!誰!?やば!?」とか言うでしょうけど、このミソミはそのまま一緒にどこかへ消えていってしまいました。
その後、海ではスズキが大漁。
それからしばらくして、ミソミにそっくりなスズキが打ち上げられたのです
ミソミの顔がスズキっぽかったのか、スズキの顔がミソミっぽかったのか。そして↓
打ち上げられてからのち、大漁はぱたりと止んでしまいました
人魚というより人面魚では!?と言う人もいるだろうけど、やっぱり人魚のほうが印象はいい。終わり。
【龍宮寺】
福岡市博多区冷泉町4-21