西門ルートは高宮通り西側一本裏に痕跡道【官道07】

前回に続きます。

これまで数回に渡って、太宰府市国分地区にある東門跡を起点に、官道の東門ルートを辿るお話をしてきました。

そして前回には博多遺跡群と思われるかつての博多海岸そばまで辿り着き、ついに東門ルートは終着を見たのであった。

さて今回はといいますと、水城跡のもう一つの門である西門跡から、官道西門ルートを辿ってみようと思います。

でもちょっと待って。実際に歩き出す前に、これまで読んだ書籍や説明書きから、

西門ルートについて、詳細情報をピックアップしておきましょう。

まずはこんなお話から。↓

西門から北に向かう道は、北に対して55度ほど西に向いたこちらも直線で、約12km進むと鴻臚館(古代の迎賓施設)に至っていました

一方、西門から大宰府方面へ向かう道(逆向き)に関しては、↓

南へはやはり直線で、約2kmで大宰府条坊(古代大宰府の町の区切り)の南端に接続していました

とありました。続きます。↓

西門を通過するルート上では、7世紀(西暦600年代)後半の道路跡が発掘されており、東門のルートより早くから開発されていたよう

それから、↓

大宰府の出入り口となった水城の西門・東門。西門ルートは筑紫館(鴻臚館跡)と大宰府を結ぶ道で、外国使節はこのルートで大宰府に入った。西門・東門ルートとも現在も市道として踏襲されている

西門ルートは外国使節が使った道筋であり、鴻臚館跡と西門をつないでいた道。

こちらは東門跡に設置してあった、官道の道筋を示す写真で、↓

西門と鴻臚館の間には『石瀬駅』があったということが記されています。

 

また「太宰府市教育委員会発行パンフレット」内のイラストから当時の門の様子を参照させていただくと(ありがとうございます)、こんな具合。↓

水城と門の関係が良く分かるイラストです。

お次に、書籍『海路13号 古代官道と道の文化』から一部参照させていたきます(ありがとうございます)。

p84 水城西門道について、路面としての公的管理は8世紀後半には緩み、連続した通行帯としての機能は9世紀にはなくなっていたものと考えられており、大宰府と筑紫館(つくしのむろつみ、後の鴻臚館)を連絡する儀礼的な外交の道としての主要官道が、9世紀の段階ではすでに機能を失っていたことを示している

続いて書籍『海路12号 九州の古代官道』からも一部参照させていただくと(ありがとうございます)、↓

p39 古代の博多湾は大宰府の外交で、そこに設置された施設が筑紫の鴻臚館。筑紫館が鴻臚館の前身とされ、大宰府の外交施設として、出入国管理・迎賓のほか、公益や防衛など多岐にわたる役割を担った

『筑紫館』は『鴻臚館』の前身で、大宰府の外交施設であったと。続きます。↓

p40 鴻臚館の所在地とした福岡城内から水城の西門を直線的に結ぶルートを想定、その途上にある駅を石瀬駅に比定。石瀬駅の場所は現在の南区三宅周辺に求める。西門の北側では大野城市池の上遺跡、さらに北側の春日公園遺跡、先の原遺跡などで遺構が確認。鴻臚館跡はこの延長線上に位置

先ほども出てきた『石瀬駅』は南区三宅周辺との情報をゲット。それから西門ルートは『春日公園』を通る道筋だともあります。そして↓

p113 水城西門ルートは高宮通りの西側、一本裏に痕跡道が残っており、

続きます。↓

p113 西門ルートは警固断層沿い。痕跡道西側の宅地は崖状に一段高い。途中「石投げ地蔵」のあたりは垂直隆起状地で湧水もある。一休みしたことだろう

西門ルートは高宮通りの西側一本裏とあります。が、今回は東門ルート同様、高宮通りをそのまま歩いていくことにします。

官道(高宮通り沿い)はその途中に、『石投げ地蔵』そばも通り過ぎるようです。

さらに、書籍『1300年前の高速道路』からも一部参照させていただきます(ありがとうございます)。↓

大和朝廷は全国に駅路網を張り巡らし、情報の伝達に馬を走らせた。使者は駅家で馬を乗り換え走り続けた

続きます。↓

海岸線はずっと南で、鴻臚館は岬の上に隔離されていました。古代官道は赤坂小学校の真下を通って鴻臚館へ向かった

赤坂小学校の真下を通る官道西門ルート。続きます。↓

古代官道は大利小学校の校舎を横切り大利中学校のテニスコートをとおって、九大の筑紫キャンパスへ抜けていた。この一帯は湿地だったので、枝などを敷きその上に土を盛って直線に官道を造った。

大利小学校校舎それから大利中学校テニスコートを通り、九大筑紫キャンパスを抜ける官道西門ルート。もう少し続きます。↓

西門ルートは高宮通りに被る。鴻臚館から大宰府に向かう直線道路は警固断層に沿っています。石瀬(いわせ)駅→南区清水(石瀬橋)

とのこと。あれ石瀬駅は南区三宅界隈と先ほどあったけど、

こちらでは南区清水となっています。メモメモ。

とにかくかなりの情報が集まりました。ここで分かった西門ルートのお話をまとめると、

○まず西門を出発すると、○大利小学校そして○大利中学校そばを通り、それから○九大筑紫キャンパスを突き抜ける。

そのあと、○春日公園を駆け抜けたら、○南区三宅界隈(石瀬駅)もしくは○南区清水石瀬橋なる場所を経つつ、高宮通りを進みます。

 

警固断層に沿って進み、○石投げ地蔵を過ぎて、○赤坂小学校を見ながらついに○鴻臚館へ辿り着く、という道筋。

というわけで、次回から実際に歩いてみたいと思います。よろしくお願いします。

【水城西門跡】

福岡県太宰府市吉松3丁目16-12