どこで分断なのか分からないから分断【乳峰禅寺】

先日、福岡県太宰府市の観世音寺地区にある『武藤資頼資能供養塔』(↓)を訪ねた時のことです。

案内板に、こんな記述がありました。↓

武藤資頼(すけより)は、鎌倉幕府から守護職として九州に派遣された関東御家人。博多承天寺の建立でも知られます

その博多『承天寺』の末寺であり塔頭(大寺院の寺内寺院の意)である【乳峰禅寺】が、福岡市博多区の御供所町にあると聞きましたので、今回訪ねてみましたというお話です。

 

福岡市博多区の国道202号線の通り沿いかつ御供所町の交差点そばには↓

「承天寺通り」が千年門へと向かって伸びていて↓

この近辺は、博多の寺町といわれる場所だとききました。↓

その通りから見て202号線の向かいに見えるのが、今回私が訪ねる【乳峰禅寺】。全景はこんな感じ。↓

【乳峰禅寺】は臨済宗東福寺派の寺院で、もとは宝治2年(1248)に那珂郡白水村(現・春日市)に創建されたとのこと。↓

では、山門からお邪魔しましょう。↓

正面に本堂の扁額。↓

右を向けばこうで↓

振り返るとこう。↓

そして境内左へ。↓

三人地蔵が、かわいさを存分にアピールしている!?↓

由緒書きなどが見当たりませんでしたので、御供所まちづくり推進協議会HPから参照させていただきます。↓

【乳峰禅寺】の開基は、大宰少弐藤原資能。寛永9年(1632)、駿岳元甫により現在地に再建。ご本尊は、博多七観音の一つ、十一面観音菩薩です

また

境内奥のこちらは「摩利支堂」。古代インド神話の梵天の子である「摩利支天(マリーシ)」をお祀りしています。「摩利支天」は開運・勇猛・得財・護身・勝利の神として信仰を集めています

とありました。

こちらには説明書きがあって↓

「堂」。↓

牛と亀の石柱。↓

分からないことも色々あるので、もう少し詳しく【乳峰禅寺】について検索してみたところ、こんなお話を見つけました。↓

1248年に那珂郡(春日市)に武藤(少弐)資能が開基した【乳峰禅寺】。寛永9年(1632)に、駿岳元甫により現在地に再建されます。
明治44年、市内電車(博多電気軌道)が承天寺境内に敷かれたため、「承天寺」と「乳峰禅寺」は南北に分断したのでした

その「博多電気軌道」が敷かれたのが、国道202号線。↓

見事なまでの分断。


【乳峰禅寺】

福岡市博多区御供所町14-4