警固神社のお話と警固神社のお話【警弥郷警固神社】
先日、福岡市中央区の繁華街である天神地区のそのド真ん中!といっても過言ではない
そんな場所に鎮座する【警固神社】(↑)を訪ねたわけですが↓
今回は福岡市南区に鎮座する【警固神社】へお邪魔しましたので、そのお話をしたいと思います。
今回訪ねる【警固神社】がある場所は、南区の「警弥郷」という地区。近くのバス停には『上警固』という地名が記してあって↓
そのバス停からちょっとだけ進んだところに【警弥郷警固神社】が鎮座していました。↓
さっそく鳥居をくぐって境内へお邪魔したいと思います。↓
境内すぐのところに由来書きの石碑がありましたので
読んでみると↓
【警弥郷警固神社】のご祭神は「神直日神(かんなおびのかみ)」「大直日神(おおなおびのかみ)」「八十禍津日神(やそさがつびのかみ)」
これは【天神警固神社】と同じですね。そして、↓
『警固大明神記録』の記述によりますと、警固神社は昔那珂郡警固村に祀ってあって、神功皇后が三韓出征の際に勝利を祈り、この三神を下警固村の福崎に祀りました
福崎というのはかつての福岡城本丸辺りの地名とのことだそう。
由来書きはまだ続きます。↓
下警固村福崎の『警固神社』は、福岡城築城のため遷されることになりました。これが現在天神に鎮座する『警固神社』です
とのこと。また『筑前続風土記』の記述によりますと、↓
上警固の村名は、警固神社が鎮座していたため、もしくは警固田があったのが由来
この「上警固」というのは「警弥郷」のことでしょう!?さらに『三大実録』という書物の記述には↓
警固田からの租税を警固所の雑用に当てました
とあります。「警固所」っていうのは、九州博多地方を警固するために設置された役所のこと。え待って!?
私は今、いったい何の話をしているんだろう!?みなさまには伝わっているでしょうか。
私自身さっぱり分かっていませんが、以上の情報をもとに、私なりに勝手に「推測」してみると、こんな具合。↓
ここ警弥郷にはかつて警固田があって、警固田からの租税は警固所の雑用に当てていた。そんなことからこの地は「上警固村」と呼ばれ、「警固神社」が鎮座していました。一方で、下警固村の福崎にも「警固神社」が建立。その「警固神社」は福岡城築城のため遷座し、現在の警固公園のところに鎮座しています。ちなみにこちらの『警弥郷警固神社』が先である
そういうことがこの石碑に書かれているような!?気がするけど!?もし違っていたら、優しく違うよって言って欲しい。
よおーし!!続きはみんなにバトンタッチ!!あとはよろしく頼みます。
その間に私は境内を散策です。
こちらは境内社の『天満天神』。菅原道真公を祀っていて↓
ちらっ。↓
案内板もありました。↓
そして「火結大神(ほむすび)」。火の神様だそうです。↓
拝殿は2階建てみたいな変わった形をしていて↓
そして、こちらの扁額である。↓
さてさて。
【警弥郷警固神社】から通りを挟んだそばには【脊振神社】が鎮座していて↓
こちらはその名前のとおり、脊振山の『脊振神社』から勧請されたのだそうです。↓
ご祭神は宗像三女神である「多岐理姫命(たぎりびめ)」「市杵嶋姫命(いちきしまひめ)」「多岐都姫命(たぎつひめ)」そして「弁財天」。
初めは海の神である「宗像三女神」を、それからのちに「弁財天」を背振山頂の『背振神社下宮』から勧請し、ともに奉祀したとのこと。
神社境内の隣に
ちらっと鳥居が見えたんで↓
敷地をぐるっと廻って近寄ってみましたよ。↓
これは現代アート風!!ふぅー!!完。
【警固神社(警弥郷)】
福岡市南区警弥郷3丁目6-20
【脊振神社】
福岡市南区弥永1丁目3-18