ここは博多祇園山笠発祥の地【承天寺01/02】
先日、福岡市博多区の博多駅前地区に【承天寺】を訪ねましたので、今回はそのお話です。
【承天寺】へはこれまでにも数度訪ねたことがあって、今回の訪問は、あらためましてこんにちはといったところです。こんにちは。
JR博多駅前の大博通りから右へ入っていくと
『出来町公園』のそばに【承天寺】の山門。
閉まっているこちらの門の前には『山笠発祥の地』と記された碑があって↓
開かれた山門のすぐそばには説明書きがありました。↓
読んでみたいと思います。↓
仁治3年(1242)、博多祇園山笠の創始者といわれる聖一国師によって開山。建立に際しては宋からの帰化人で貿易商の謝国名が聖一国師を助け、大宰少弐・藤原(武藤)資頼が資材を施すなど金銭的に援助
(※謝国名のお話はこちらでも!↓)
続きます。↓
境内には博多織の始祖満田弥三右衛門の碑や聖一国師が伝えたとされる饂飩・蕎麦・饅頭発祥の記念碑がある他、墓所には新派劇の創始者川上音二郎の墓があります
(※川上音二郎のお話はこちらでも!↓)
説明書に添えられた絵図。「聖一国師像」「承天寺の図」「洗濤庭」。↓
それでは山門から境内へお邪魔したいと思います。↓
扁額には『勅賜承天禅寺』。
臨済宗東福寺派の寺院「萬松山敕賜承天禪寺」。↓
目の前にはでっかい鐘楼。↓
見上げてみたり。↓
離れて見てみたり。↓
振り返ってみたり。↓
先へ進みます。↓
百度石。↓
奥には「将軍地蔵」。↓
そして仏殿。↓
仏殿の扁額には「覚皇殿」。↓
仏殿内。↓
「蒙古碇石」。↓
「旧仏殿礎石」。↓
「円明閣」。↓
さらに奥には「方丈石庭」があるらしく↓
さっそく先へ進んでみると、なんとここで境内は分断されているのだ!!↓
ちなみに目の前の通りは「承天寺通り」。区画整理事業のため、境内はこの市道を境に、今訪ねてきた「南西側」と通り向かいの「北東側」に分かれることになったのだそうです。
「承天寺通り」をこのまま右へ進めば『博多千年門』があって↓
逆に左へ進んだ通りの向こうには
【承天寺】末寺である『乳峰禅寺』(↓)の姿が。
こちら『乳峰禅寺』は、【承天寺】境内への市内電車(博多電気軌道)敷設のため、それぞれが南北に分断とのこと。↓
さて、それでは【承天寺】北東側にある本堂を訪ねてみることにします。↓
北東側から南西側を見るとこんな景色で、↓
そして肝心のお話は次回に続くのであった。よろしくお願いします。↓
【承天寺】
福岡市博多区博多駅前1丁目29-9