長崎街道(一部)を辿ってみた04【山家宿】

前々回、長崎街道の宿場町『原田宿』を後にして『山家番所跡』まで辿り着きました。↓

そして前回、街道辿りはひと休み。その代わりに、二日市にある『筑紫野市歴史博物館』を再訪問し↓

『原田宿』『山家宿』にまつわる展示を浮かれ気分で見学したのであった。↓

そして今回はといいますと、再度街道へ繰り出して【山家宿】をあちこちぶらぶら散策してみたいと思います。こんにちは。

 

では『日田街道』に別れを告げて『長崎街道』を進んでいくことにします。

細い路地が続き、そして

不動明王!?

角のところで右へ曲がったり。↓

案内が出ているのがとても嬉しい!心強い!↓

山家蛍の会の看板が目印になるんですが↓

そのすぐ先に↓

西構口。つまり。TSUMARI。【山家宿】に到着です!おめでとうございます。↓

西構口はきれいに整備保存されており↓

そばにはかっこいい碑が立っている。↓

まずこちらから読んでみたいと思います。↓

筑紫郡山家村。旧宿駅構口。藩政時代、福岡藩領内の宿駅合計27その内黒崎木屋瀬飯塚内野山家原田の六宿は六宿と称し?西国大名或いは長崎奉行の通行する道路の宿駅なるを、往来頻繁なり

続きます。↓

六宿には茶屋(本陣)、町茶屋(脇本陣)、代官所、下代官所、番所、郡屋、問屋、馬継所等あり。宿駅には何れもその両端に石垣を築き街路に直角に短き壁を設けこれを構口と称す

右側にも説明書きがありましたので↓

読んでみるとこんな具合。↓

西構口並びに土塀。構口とは宿駅の境界に設けられた出入り口。土塀の端をL字状に屈折させた構造が特徴。土塀は石垣の上に幅50から60センチ、高さ30センチの四角い粘土を4から5段積み表面を漆喰で仕上げその上に瓦を葺いています

続きます。↓

山家宿の構口を含む北側土塀と南側土塀は県内で現存する唯一のもの。山家宿は長崎街道に設置された筑前六宿の一つ。「山家宿の恵比寿石像」背面に彫られた銘文によると、初代代官桐山丹波によってつくられたと伝わります

も少し続きます。↓

参勤交代の大名行列や外国から幕府へ献上される象などが通りました

ちょと待てください。ちょと待てよう。象!?エレファントが?長崎から江戸まで?運ばれた?あのさあ、象さあ。だいじょうぶそ?

 

こちらは土塀の図。↓

幕末の山家宿の案内図。↓

北側土塀。↓

初代代官「桐山丹波」。↓

南側土塀には小さな石碑が立っており↓

その石碑には漢詩が刻まれており

さらに説明書きが。

読んでみましょう。↓

原采蘋。秋月藩の儒学者原古処の長女として誕生。二十歳のとき、広瀬淡窓に才媛を認められる。上京の途中、頼山陽らに詩稿の添削を乞う。江戸在府18年、母の看病に帰郷。山家宿にて私塾を開く。江戸へ。萩にて病にかかり客死62歳。漢詩人

通りの角には、町の案内図。これは史跡巡りに助かります。すかさずチェック。↓

通りの目の前に見えるのが『山家宿御茶屋』。シーボルトも宿泊したことがあるんだとか。といったところで↓

今回はここまでです。訪ねてみたい史跡がどっと増えて、心のトキメキが止まりません。

次回もバリバリ歩き回りたいところである。続く。↓


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【山家宿西構口】

福岡県筑紫野市山家