偶然と偶然の出会いそれは運命【ぴあトピア緑地01】

福岡市博多区の呉服町界隈をブラブラ歩いていたら

ふと目に入った電柱の説明書きに

こんなことが書いてあったんです。↓

幕末の博多浦の網本は竪町濱(大浜1丁目)の西島家、濱口町濱(大浜2丁目)「立石」立石家、市小路町濱(大浜3丁目)「網屋」田代家、西町濱(大浜4丁目)「若狭家」青柳家の4軒であった。明治中期に杉山茂丸が主導した博多築港事業で網本4家は突然の漁業権無償放棄を余儀なくされました

ちなみに杉山茂丸というのは、『ドグラマグラ』で知られる作家「夢野久作」(↓)のお父さん。

ちょっと前のことにはなりますが、筑紫野市の山家地区にある『杉山茂丸寓居碑』(↓)を訪ねたことがあります。↓

それはさておき、ああ港よ。海よ。旅人よ。海に行きたくなりましたので、今から見に行きますか!?ってことで、海へ向かうことにしたのであった。こんにちは。

 

この電柱をスタート地点に出発。すぐ先にある呉服町『大博通り』へ合流。

すると大博通りの脇のところにこんなオブジェを発見しました。「大博通り 歴史の散歩道」。いつの日か役に立ちそうな予感!↓

通り奥には、コンサートホールで知られる『福岡サンパレス』があって

海へ行くには、右へ迂回したほうがいいっぽい雰囲気。

そこでさっそく右へ曲がったあと、今度は左へ曲がって『福岡都市高速道』の下をくぐり抜けると

そこは緑地であった。その名も【ぴあトピア緑地】であった。ナイスネーミング。語呂がいい。何度も言いたくなる。ちなみにピアは埠頭の意。

かつて開催されたアジア太平洋博覧会「よかトピア」と深い関わりがありそうです。

緑地の名前はともかく、目の前には海って感じの雰囲気がぷんぷんです。これよ、これを求めていたんです。↓

緑地右手には、現在工事中のイベント会場『マリンメッセ福岡』があって↓

左手奥にはショッピングモール『ベイサイドプレイス博多』。↓

その『ベイサイドプレイス博多』のさらに奥には、以前訪ねたことのある『福岡ポートタワー』(↓)が姿をのぞかせているのであった。↓

そして、緑地真正面には朱色の物体が!なんですかあれ。↓

緑地に入ってすぐのところに案内図がありましたので、ひとまず確認しておきましょう。↓

んん?おや?むむ?ちょとマテ。ちょとマテくださいよ。深呼吸していいですか。はァぁ。びっくり。

まずはこちらの記事を読んでいただきたい。いや読まなくてもいいんだけど。↓

なにが言いたいのかというと、フランク・オガワというのは、あのフランク H・オガワのことなのか!?ってことです。ほぼその通り。

先日訪ねたカリフォルニア州のオークランド(福岡市の姉妹都市)には、彼の胸像が立てられていましたよね!!

それがここ福岡の『ぴあトピア緑地』にも立っている!?オガワさん!?なぜなんだ!?

いずれにしても、こんなところでお会いできるなんて、本当に光栄。サンキューミスターオガワ。イエスグッド。

説明書きがそばにありましたので

読んでみます。↓

フランク・オガワはカリフォルニア出身の日系2世アメリカ人。生涯にわたってアメリカと日本、特にオークランドと福岡の友好親善に尽くす。博多港とオークランド港のの間で結ばれた貿易協力港関係もオガワ氏の尽力の賜。その功績を称え、オークランド市有志により胸像2体が作られ、1体はオークランド市庁舎前プラザに、もう1体が福岡市に

ちなみに、小川家のルーツが福岡にあるとか、そういうことは書いてありません。ということは文章のまま、港そして貿易関係で福岡とつながっていた、ということのようです。

まるで導かれるように、渡辺通り→オークランド→ぴあトピア緑地とつながりました。運命的。↓

 

こちら福岡のオガワさん(胸像)を見てみると、彼の視線の先には、きっとカリフォルニア州オークランドの港町が!!↓

あるようでないんだな。なぜならその視線を辿ると、先にあるのは韓国のプサン。方向逆よ逆。お願いしますよ!

といったところで、運命的な出会いのお話はこれにておしまい。

次回は、「ぴあトピア緑地」正面に立つ、赤く染まるオブジェへ向かってみたいと思います!↓


【ぴあトピア緑地】

福岡市博多区沖浜町1-14