松林を隔てて海に近い競馬場へ移設【春日公園01】

前回、福岡県春日市の新川緑地をスタートして、

かつて競技場や野球場があったという西鉄春日原界隈を散策しました。

まったり歩きで西鉄春日原駅そして龍神池を通り過ぎ、ようやっと春日公園まで辿り着いたわけですが、

ここ春日公園は、昔の写真を見て見ると、かつてどうやら競馬場だったっぽいんです!!

というのが前回のお話でした。では今回も引き続き、春日のお話をしたいと思います。でもちょっと待って!

その前に。以前に購入して読まず仕舞いでいた雑誌【Kasuga(2022年春日市発行)】を今回読んでみたんです。そしたらさ!

冊子を開いてp28のところにその競馬場のお話が記されているではないですか。さすがKasuga

(※画像は春日市PR映像からの引用です)

というわけで、みんなもちょっと開いてみてくれるかな!?そうそう。ね。そこにこんな事実がせきららに語られているんです(一部参照させていただきます、ありがとうございます)。↓

昭和7年、現春日公園一帯に春日原競馬場が開設。地方競馬としては日本一の設備を誇る。戦争の色が濃くなるや、昭和15年に陸軍造兵廠分用地として買収され、競馬場は宗像郡福間町へ移転

とありました。競馬場→陸軍造兵廠→春日公園。こういう歴史を歩んでいるということみたい。

また、移転した競馬場についてwikipediaで調べてみると、↓

福間競馬場は、福岡県宗像郡福間町(現在の福岡県福津市)に存在した競馬場。1959年廃止。海岸から松林を隔てただけの、非常に海に近い競馬場であった。

福岡県では1927年の地方競馬規則公布以降、春日原、飯塚、久留米の3競馬場が開催されていたが、1939年の軍馬資源保護法により3場は廃止。鍛錬馬競走を行うための競馬場として、福間町に競馬場を新設。1940年から1944年にかけて鍛錬馬競走が行われた

続きます。↓

1946年、地方競馬法が公布され、再び地方競馬が復活することになると、福間競馬場も同年から競馬を再開。1959年まで開催された。2023年時点では多くの敷地が住宅地となっている

さてお話は春日の話題に戻ります。

雑誌【Kasuga】には戦前春日原についての詳細も記されてありましたので、ここでもまた一部参照させていただきます(ありがとうございます)。↓

九州鉄道(現西日本鉄道)敷設による春日原駅の設置と区域整備。龍神池を中心に納涼地と遊園地と総合運動場が整備される

続きます。↓

総合運動場の規模は東洋一とよばれた。特に春日原野球場は収容人数5千人

しかし、戦争の渦に巻き込まれ、軍事施設へと立ち替わるのであった、とのこと。

ここでwikipediaでも【春日公園】について読んでみますね。

返還された在日米軍基地(春日ベース)跡地に昭和天皇在位50年を記念して作られた県営公園。1981年(昭和56年)4月に開園

先述のお話では、かつて競馬場だった土地が戦争開始により、陸軍造兵廠分用地として買収されたとありました。その土地がのちの戦後には在日米軍基地になっていたということみたい。

競馬場→陸軍造兵廠分用地→在日米軍基地。参照はもう少しだけ続きます。↓

樹木の一部は福岡県庁が東公園へ移転される際に同公園より移植されている。野球場、球技場、テニスコート、噴水広場、自然庭園、野外音楽堂などがあり、毎年、春日あんどん祭りが開催

とのこと。福岡県庁のくだりは、

以前訪ねた『天神中央公園』でもそのお話をききました。

では春日公園を歩いてみることにしましょう。

先ほどもお話をした雑誌【Kasuga】には、かつて米軍基地だった頃の春日公園のお話が特集されていましたので、こちらも参照させていただきながら、歩いていきたいと思います。

そのお話は次回に。よろしくお願いします。

【春日公園】

福岡県春日市原町3丁目