稲荷大神のご神託でこの地に留まる【杉山稲荷神社】

先日、福岡市早良区にある↓

『西南学院大学』を訪ねた帰り道のことなんですけど↓

通りを曲がった先のところに、ふと鳥居を見つけましたので↓

あれ鳥居じゃんとか言って近づいてみたんです。こんにちは。

こちらは【杉山稲荷神社】とのことで

そばに由緒書きがありましたので

さっそく読んでみると↓

ご祭神は「宇迦之御魂神」。1482年に建立。1666年、橋本村よりこの西新に遷座した紅葉八幡宮の境内正面に位置する

続きます。↓

1913年、この地近隣に鉄道が引かれ静寂さを失ったため、紅葉八幡宮は現在の高取に遷座。稲荷大神のご神託により杉山稲荷神社はこの地に留まることに。今では、かつてこの地に紅葉八幡宮があった名残のある貴重な聖地である

とのこと。かつて橋本村からこの地へ『紅葉八幡宮』が遷座との記述がありました。そこで、以前に『紅葉八幡宮』を訪ねた当サイト記事内から一部を参照してみたいと思います。↓

三代目藩主である光之公は、橋本村で産まれ育ち、その産土神が橋本の八幡宮でした。その橋本の八幡宮を福岡藩の守護神として、百道松原の地に遷宮したのが【紅葉八幡宮】の始まりです。のち、北筑軌道が境内を横切ることになり大正2年に現在の地へ遷座されました

遷座につながることになった「敷かれた鉄道」というのは、「北筑軌道」。

(※福岡市早良区高取に鎮座する紅葉八幡宮↑)(※紅葉八幡宮のお話はこちらで!↓)

また、以前に『橋本八幡宮』を訪ねた当サイト内記事から、こんなお話をご紹介します。↓

文明14年(1482)に柴田蔵人佐繁信父子によって(橋本八幡宮)建立されました。350年前の頃、境内の北側辺りに黒田藩主の別荘茶屋がありました。黒田藩三代の光之は橋本の人を母として生まれ、幼少期をこの地で過ごしました。光之公は産土神として八幡宮を崇敬し寛文6年に西新町紅葉松原に社殿を建てて遷宮

(※橋本八幡宮のお話はこちら!↓)

さらに由緒書きには、かつて『紅葉八幡宮』の境内正面に【杉山稲荷神社】が位置したと記してあって

 

ということは、このマンションがある辺りに、遷座する前の『紅葉八幡宮』が鎮座していたと考えられます。それかもしくは逆サイド。↓

では境内へお邪魔したいと思います。緩やかにカーブを描く鳥居をくぐっていくと↓

社殿があって

おきつね様である。↓

そしてこちらが本殿。今回こうして↓

なんとも偶然に通りかかった街中の神社でしたが、

 

それがあれよあれよと、歴史の糸があちこちに繋がっていくので

運命感じそうになった気も!?しないでも!?ないかも!?完


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【杉山稲荷神社】

福岡市早良区西新2丁目10-24