唐津街道(一部)を辿ってみた10【旧郡境石】

前回の続きです。↓

前回はといいますと、【箱崎宿】に足を踏み入れ、「筥崎宮」正面まで辿り着きました。

では今回も元気に辿ります。

さっそく「筥崎宮」をあとにして、街道をぐいぐい進んでいきます。↓

すると、通りの右脇に石碑が。↓

近づいてみますね。↓

そばには説明書きがあって、そこには↓

旧唐津街道の名残を伝える表糟屋郡と那珂郡との郡境を示す石碑で、現在は箱崎校区と馬出校区との境界。筑前藩と唐津藩が参勤交代に使っていたため唐津街道とよばれました。他に内宿通り、青柳通り、赤間街道ともいわれていました

また↓

旅人は箱崎宿をはさみ博多・箱崎・青柳と進みます。箱崎宿は筑前21宿の一つで、筥崎宮の門前町として栄えました。旅人は博多を過ぎて箱崎宿までは正装で威厳を示し、ここで旅の軽装に着替えて青柳宿をめざし、帰りには長い旅を終えて箱崎宿に辿り着き、正装に着替えたといわれています。旅の無事と感謝を筥崎宮に伝えたことでしょう

面白いお話です。ちなみに振り返るとこんな景色。↓

では引き続き通りを先へ進みましょう。↓

「恵光院」。↓

ややややや↓

しばらく進むと、通りはくねくね。この下には地下鉄が走っているらしい。↓

「唐津街道御参勤御発賀之節松原座配置図」。↓

古い建物が続き↓

交差する「馬出通り」を右に進めば↓

以前訪ねたことのある『翁別神社』(↓)そして

『称名寺』(↓)に辿り着きます。↓

「博多曲物」。↓

「箱嶋家住宅」。↓

国登録有形文化財とのこと。↓

こちらの交差点を左へ進めば、道は↓

『枯野塚』(↓)そして

『馬出小学校』(↓)へと続いていきます。今回は真っ直ぐです。

通りはこの辺りで幅広になって↓

右には「九州大学東門」。↓

さらに進むと↓

「九州大学医学部正門」。↓

住所で言うと千代四丁目(当時の地名は那珂郡堅粕村)。↓

少し先へ進んだ右手には『崇福寺』そして↓

「頭山満先生之墓所」。↓

逆に、通りを左へ入っていくと↓

『松原水』井戸跡があります。↓

千代3丁目の交差点を渡って↓

左側の通りを進んでいくと↓

右手には『石堂地蔵』が。父と子のなんとも言えないストーリが胸に染みます。↓

といったところで今回の旅路はここまでとなります。お疲れ様でした。今回はひたすら真っ直ぐ道でしたね。楽勝楽勝。

場所で言うと、福岡市博多区の千代地区まで辿り着きました。

次回は!石堂橋を渡り!博多の町へ!突入です。

お楽しみに。↓


【旧郡境石】

福岡市東区馬出5丁目34-34