唐津街道(一部)を辿ってみた09【箱崎宿】
前回の続きです。↓
前回はといいますと、『青柳宿』の次の宿場町である【箱崎】の地へようやく足を踏み入れたのであった。こんにちは。↓
今回は筥松2丁目(旧東新町)からスタートします。↓
JRの高架をくぐった左先には↓
JR箱崎駅。↓
もう少し先へ進みます。ここは箱崎新道で↓
福岡筥松郵便局隣りには↓
唐津街道箱崎宿東構口跡。つまり【箱崎宿】である。↓
構口というのは、青柳宿にもありましたが
構口。宿場の出入り口を示すもの。道路と直角に石垣を組み、その上に白壁の練塀を築き、瓦を葺いたもの。街道の上りを東構口、下りを西構口といいます
西構口跡はこの先のほうにあるみたい。街道の名残を思わせる、っぽい雰囲気の建物もちらほら。↓
こちら「九大正面入り口」の交差点で、左へと入っていきます。↓
ちなみに通りをそのまま真っ直ぐ進めば『勝楽寺』があって↓
曲がった先にも『勝楽寺』があるのだった。↓
では先へ進みます。↓
『箱崎会館』。↓
そして↓
『玉取恵比寿神社』。↓
【筥崎宮】の末社であり、また玉せせりのスタート地点としても良く知られています。
結構前のことにはなりますが、こうして訪ねたこともあって↓
あらあらどうも、お久しぶり。といった感じです。
ポンプもありました。なんのポンプよ?↓
では続きます。でね、ところでね。
事前にネットで調べておいたんですが、【箱崎宿】における西構口(跡)の場所はこの辺りっぽいんです。↓
そこで少しウロウロしてみましたが、跡を示すモノは特に見つからず。いや見落としたのかもしれないけど。↓
仕方がありません。ギブ。その先には「箱小通り」が唐津街道を横切っており↓
そのまま渡ってしまえば、そこはもう【筥崎宮】である。↓
『秀吉、筥崎宮本陣にて禁教令発令』!からの↓
【筥崎宮】一の鳥居。↓
(※筥崎宮を訪ねた一連のお話はこちらで!↓)
といったところで、今回はここまでです。東区の箱崎地区に鎮座する【筥崎宮】前まで辿り着きました。ちょっと短かったけど、お疲れ様でした。
続きは次回に!↓
【筥崎宮】
福岡市東区箱崎1丁目22