名前が十六宵なら美女じゃなくても美女【翁別神社】
場所でいうと福岡市東区の馬出地区。↓
少し歩けば、福岡大仏の台座で知られる『称名寺』がある、
そんな場所に【翁別(おきなわけ)神社】は鎮座しています!!
ちなみに、ここからちょっと走ってみれば『筥崎宮』に到着です。
そんな場所に【翁別(おきなわけ)神社】は鎮座しています!!
さて今回は【翁別神社】を訪ねたお話です。こんにちは。↓
馬出地区の市営住宅の中に、静かに佇みそっと溶け込む小さな神社。
ご祭神は「武内宿禰命(宿弥)」。たけうちのすくね。
『香椎不老水』(↑)を訪ねた時にもお話があった、あの300年生きた伝説の男!!
境内には「鏡の井」とよばれる湧水跡があって、
そのすぐそばに案内板がありましたので、さっそく読んでみました。そしたらですよ↓
こちらの神社には、遠い昔の不思議な逸話が色々ギュッと詰まっていたのでした。
それはこんな具合。↓
三韓征討の時のこと。神功皇后は箱崎浜に寄港しました。お供は武内宿弥。
宿弥は、近辺にあった池の水が鏡のように澄んでいたことに感激。宿弥、感激。そして感激したあと、池のそばの銀杏の木陰で一休みしたのでした
といった逸話が、まず一つ。それから時は移って、約700年後の平安時代のお話。↓
仲の良い漁師の夫婦がこの馬出の地に住んでいました。子宝に恵まれなかった二人は、ある日筥崎宮に参拝して祈願
すると、女の子を授かったというのです。願いが叶った漁師の夫婦は感激です。
夫婦、感激。そして↓
十六夜の月が照らす夜に産まれたので、女の子に「十六宵(いざよい)」と名づけました
ここからは十六宵の物語へと移っていきます。↓
十六宵は幼いころから、そばの小さな池を鏡にして髪を整えていました。その池はいつしか「鏡の井」と呼ばれるように。
13歳を迎えた十六宵は、まばゆいばかりの美少女に成長しました
美少女っぷりは宇多天皇の耳に入ることになり、十六宵は官女「白梅姫」として宮仕えすることになったのでした。↓
つまり十六宵は京へ行ってしまい、この地で彼女の姿を見ることはなくなったわけ。すると↓
十六宵の姿が消えるやいなや、この池の水は枯れ果ててしまったのでした
それからしばらくのちに、この不思議な話を聞きつけたのが↓
陰陽師の安倍晴明。
さっと杖を投げると、杖は白龍となって馬出の地に突き刺ささり、そこからまた「鏡の井」が復活したのだった
ところでなんですけど。白龍出す必要があるのか。杖のままでいいじゃん。
でも出したくなる気持ちも分かる。なぜならかっこいいから。
(※安倍晴明のお話はこちらでも!↑)
さて、街で噂の美少女『十六宵』はどうなったのかといいますと!?
その後結婚して帰郷。菅原道真の警固役を夫婦で務めました。また、老松・若松という二人の子供を翁父母に預けると、夫婦ともども仏門へ入ったのでした
夫婦、還暦。かどうかは分からないけど!!
それからさらに時は移り。再びこちらの井戸がお話に登場します。↓
豊臣秀吉が博多を訪れ、千代松原で茶会を開いたときに、この地の水が使われました
とにかく色んなことが起こる不思議な井戸、にまつわる馬出でのお話でした。
ご清聴ありがとうございました。
【翁別神社】
福岡市東区馬出2丁目6-1