無いから逆にあるってこともあるある【称名寺】

福岡市東区の馬出地区にある【称名寺】を訪ねました。

こちらのお寺には『大仏の台座』のみが大事に残されていると、いつかどこかで聞いていたんです。↓

さっそくお寺の境内にお邪魔してみると、ゆったり広くてとても静か。↓

さて、こちら【称名寺】ですが、貝原益軒の『筑前國続風土記』にはこんな記述があるといいます。↓

土居町にあり。故に土井道場と云。金波山西岸院と號す。後醍醐帝元應2年開基す。開山を乗阿上人と云。施主は稱阿名阿と云父子也。父子の名の上の字を取て称名寺と云。

それはつまり↓

元応2年(1320年)に乗阿上人によって開山。 施主が稱阿・名阿という父子だったので、その父子の上の字をとって稱名寺(称名寺)となりました。

もとは土居町(現上川端町)にありました。

ということでしょう。

そして、『称名寺』がまだ土居町にあった明治45年に、境内に『博多大仏』が建立されたとのこと。

高さ約5.5メートル、台座込みだと約11.5メートル。博多仏師の高田又四郎が原型を制作したという青銅製の釈迦如来坐像。

のち大正9年(1920年)になると、お寺ともども「土居町」から「東区馬出」の現在の場所へ移されることに。↓



さらにのちの昭和19年(1944年)、戦争激化による金属供出の波に飲まれ、台座だけを残して大仏はその姿を消すことになったのでした。↓

そんな歴史の流れを経て、現在この地に大仏の台座が残っているというわけです。

その台座の階段そばには「芭蕉句碑」があって↓

読めなかったんだけど、これはどうやら↓

憂我をさひしからせよ閑古鳥 

と記されているらしく

松尾芭蕉が48歳の時の句だそう。

ここから10分くらいの場所には【枯野塚】がありますし、芭蕉とのなにかしらの縁があるのかな。(→お綱の気持ちと采女の気持ち【枯野塚】

ちなみにそばには【翁別神社】も鎮座していて、その距離は徒歩で1分くらい。私の本気ダッシュで50秒くらい。(→名前が十六夜なら美女じゃなくても美女【翁別神社】

つまり、とても近いですよと言いたかった。

本当なら、ここに大仏があったわけだけど

でも、この台座だけっていう姿が、逆に魅力的ってことも

あるあるあるある。

【称名寺】

福岡市東区馬出4丁目1-50