松原水売りはかつての博多の風物詩【松原水】
福岡市東区の千代地区に【松原水】を訪ねました。↓
以前にも一度訪ねたことはあったんですが、その時(2018年頃のこと)はなにがなんだか良く分からないまま、
とりあえず写真だけでも(これ↓)撮っておこうといった感じだったんです。↓
場所は、21号線沿いにある『崇福寺』のすぐそば。
通りから左へちょっと入ったところに
公園が広がっていて、こちらは『千代東公園』。
その公園の片隅に、ザ・昔井戸でしたけどって感じの井戸があって
こちらがまさに今回訪ねる【松原水】。
それはいいんですけど、いったい【松原水】ってなんなんでしょう!?松原家の水ってこと?
そばに説明書きがありましたので↓
読んでみるとこんな具合。↓
松原水について。明治初期のまだ井戸を使用していた頃、博多部の井戸は水質に恵まれず、そのため飲料水は那珂郡千代村一帯(現博多区千代)に続く松林(千代松原)の砂地から汲む井戸水を運んでまかなわれていました。これも家庭汚水で使えなくなりました
続きます。↓
そこで明治29年、福岡市は飲料水確保のため、千代村堅粕(現博多区東公園)の東公園内の国有地を借り受け、市設の井戸を掘りました。これが【松原水】の起こり
そして↓
明治34年には市設井取締規定が定められました。井戸には看守を置く。汲む者は許水許可証を携帯。料金は80リットルに10銭。などなど。細かく規定して厳しく管理。業者が水桶を積んで大八車を引く「松原水売り」は博多の風物詩であった。のちの大正天皇が来福の際、飲料水として使われ、記念の石碑が傍に
その記念の石碑。↓
裏側を見てみると、『皇太子御料水』と記してあります。↓
以前に訪ねた頃と(2018年辺り)、ちっとも変わってないかなと思ったら、角にあったいい感じの建物が(この茶色の建物)↓
マンションに姿を変えています。ああこれが時代の流れ。↓
ではちょっと公園を散策してみましょう。↓
向こうに見えているのは『福岡市民体育館』。↓
これはなんだろうと近づいてみると『千代横断地下道』(千代小中学校登校日にのみ利用できる横断地下道)!?と記してありました。↓
そして↓
『東公園』の立派な入り口。といったところで、
終わります。ありがとうございました。完。
【松原水】
福岡市博多区東公園9-9