名島城を探してみたけど 1/4【西鉄名島駅】
福岡市東区の名島地区にある【名島城跡】を訪ねてみましたので、そのお話をしていきたいと思います。↓
【名島城】はもともと、立花氏当主の「立花鑑載(あきとし)」が立花山城(福岡県糟屋郡新宮にあったお城)の出城として16世紀半ばに築城したのがはじまりで↓
のちに、九州平定を果たした「豊臣秀吉」が「小早川隆景」に筑前国や近隣諸国を与え、隆景はこの立花山城の出城を【名島城】として改修し居城したのでした。
その後隆景は、養子の「小早川秀秋」に家督をゆずり、今度は秀秋が【名島城】の城主になったんだけれど
その秀秋は、関ヶ原の戦いで加増転封され岡山へ移ることに。そこへ豊前国(大分)からやってきたのが「黒田長政」だったのだ!!
だがしかし。名島城へやってきた「黒田長政」は、城の立地を考慮して【名島城】を廃城にし
【福岡城】を築いたのであった。完。↓
というのが、ざっっっくりした流れ。だいたいあってると思います。こんにちは!!
それではさっそく、噂の【名島城跡】へ向かうことにします。『西鉄名島駅』からのスタートです。↓
駅前を走る3号線の向こうに見える小道を進むと↓
通りの左手に
『岩見重太郎生誕之地』があって
その右奥の小道へ入ると↓
『潮汲み道』。そばの案内板には「山道の崖下が海で潮汲みの場所であった」との記載。↓
そのすぐ先には名島(三の丸)団地があって↓
ここはその名の通り【名島城】の三の丸の跡。なるほど石碑もありました。↓
つまり、この辺りはもうすでに名島城(跡)だというわけ。
『三の丸』の次ということで、今度は『二の丸』を目指します。
ラーメン屋『名島亭本店』から↓
『名島運動公園』へと進み
そして↓
その前を走る「引き込み線通り」の右手にある小さな坂を上っていきます。↓
案内プレートには『羽衣台道』とあって「名島城のはるか以前に渡来人が住んでいた。その渡来人の衣装に因んだ名(二の丸跡)」との説明書き。↓
つまりこの辺りが『二の丸跡』ということ。でもね、でもでも。ゆるやかな坂を少し先まで上ってみたけれど、辺りに石碑などは見つかりませんでした。っち。↓
『三の丸』『二の丸』ときましたので、次は『本丸跡』を目指します。その『本丸跡』は現在、『名島城址公園』として『名島神社』の隣に整備してあると聞きました。
そこでまずは『名島神社』へ向かうことにします。
城浜団地そばにある【名島水上飛行場跡】を過ぎて↓
少し先へ進むと城浜小学校。そして小学校の向こうには名島海岸よ。↓
右に妙見島(!)を眺めつつ
海岸沿いの帆柱通りを
ぐんぐん左へ進みます。↓
そして『帆柱石』や
『縁の石』を通り過ぎると↓
『名島神社』の立派な鳥居が目の前に!!到着です。お疲れ様でした。↓
続けて『名島神社』そして『本丸跡』へ向かいたいところですが↓
それはまた次回のお話で。続きはこちらで。↓
【西鉄名島駅】
福岡市東区名島3丁目90