黒門を抜けるとそこは唐人町だった【黒門跡】

以前、数回に分けて福岡市中央区にある福岡城を訪ねました。(→行ってそうで行ってなさそう【福岡城跡堀石垣/福岡城01】)↓

福岡城には、町の東側に「東取入門(枡形門)」が、そして反対の西側には「西取入門(黒門)」があったそうなんです。

詳しく知るためにまず、書籍『古写真で読み解く福岡城』を参照させていただきますと↓

「東取入門(枡形門)」は、博多との間の那珂川に架かる西中島橋の西側にありました。一方の「西取入門(黒門)」は、福岡城下町と唐人町といった西側の町とを出入りするための門でした。

とのこと。私はかつて「東取入門(枡形門)」を訪ねたことがあるんだけれど(→だって門があったもんだから【西中島橋】)↓

「西取入門(黒門)」は訪ねたことがありません。だから今回、訪ねてみましたよというお話しをしたいです。こんにちは。↓



さて、訪ねるにあたりまして、いまいちど書籍『古写真で読み解く福岡城』から参照させていただきます。↓

「東取入門」と「西取入門」は唐津街道沿いに建っていました。「西取入門」は通称黒門。「東取入門」の枡形のような防御性はありませんでした。

また↓

「西取入門」の外(西側)には簗堀(黒門川)に架かる黒門橋があって、その先が唐人町でした。西取入門の遺構は残っていません。黒門川も暗渠になっています。

それはつまり↓

現在、門の遺構はありませんよ!?黒門があったという『黒門川』も現在は暗渠になっているよ!?

ということみたい。え待って。行っても何もないんじゃん?何もなくなくない!?

と思ったけど、とりあず訪ねてみることにしました。(当記事内で使用している写真は、時期がバラバラです。)

ちなみに、『黒門川』というのは、福岡城外濠の排水のために造られた人工排水路なのだそうで、そこに黒門橋が架かっていて、その手前に【西取入門】があったということみたい。

では、福岡市中央区の「大濠公園」から出発したいと思います。↓

公園を抜けると↓

向こうに見えるのが「明治通り」沿いの「西公園入口」交差点。(→時代の先を駆け抜け過ぎて【西公園/平野國臣像】)↓

その「明治通り」に沿って西へ進むと、今度は「黒門橋」の交差点があって↓

交差点そばには「黒門川」が流れていて、ここに【黒門橋】が架かっている。確かに架かってはいるんだけども↓

こちらの【黒門橋】は、かつて【黒門】があった時代の、いわゆる the【黒門橋】ではないんです。なぜなら【黒門】は旧唐津街道沿いにあったから。

ですので、旧唐津街道へ向かってみたいと思います。目の前を走る「明治通り」を渡って、さらに北上。↓

すると、通りの脇にアートなオブジェが置かれている。なんすかこれ?門の跡的な?橋の跡的な?結局何かは分かりません。ごめんね。↓

とりあえず近づいてみるとこんな感じで↓

ちなみにこの通りの名称は『黒門川通り』。↓

通り沿いには「唐人町商店街」のアーケード入り口があって↓

入り口脇に案内板が立っていました。↓

読んでみるとこんな具合。↓

『唐津街道』。江戸時代に福岡藩や唐津藩の参勤交代に使われていた道。北九州の小倉から福岡城下を通過し、「荒戸」「唐人町商店街」そして「鳥飼八幡宮」の南側を通って西新商店街へ進み、唐津城下へ至る道筋です。

そして↓

黒門があった黒門飴屋前から唐人町商店街入り口辺りの白壁と瓦葺きの家屋など往時の面影を残しています。

とのこと。つまり唐人町商店街のアーケードは、かつての唐津街道(旧唐津街道)に位置しているということ。

アーケードの通り向かいを見てみると、こういう細い道が続いていて↓

その細い道の手前のところにこんな石碑を見つけました。「黒門飴跡」。↓

ここに黒門飴屋があったという石碑。それはつまり、この場所にかつて黒門があったということ。説明書きの通りに写真と照らして見てみるとこんな具合!?↓

そして、この旧唐津街道を東へ少し進んでみる。↓

すると西公園前の通りに出てきて↓

こちらにも案内板が立っていました。↓

ここは唐津街道の「荒戸」。↓

旧唐津街道は、さらにここから北九州の小倉へと続いていくのであった。↓

さて、黒門の場所は分かりました。でね、せっかくですので、黒門川(暗渠)を辿って、黒門川通りを少し歩いてみたいと思います。↓

続きは次回に!よろしくどうぞ。
続きはこちら!(→魚にとってはやな感じに違いない【簗所】


【黒門跡】

福岡市中央区唐人町1丁目12