黒門を抜けるとそこは唐人町だった【黒門跡】
以前のことですが、数回の記事に渡って、
福岡市中央区にある福岡城を訪ね、そのお話をしました!?こんにちは。↓
その訪問時、福岡城には、町の東側に「東取入門(枡形門)」が、そして反対の西側には「西取入門(黒門)」があったときいていたんです。それって気になるじゃないですかあ。
より詳しく知るためにまず、書籍『古写真で読み解く福岡城』を参照させていただくと↓
「東取入門(枡形門)」は、博多との間の那珂川に架かる西中島橋の西側にありました。一方の「西取入門(黒門)」は、福岡城下町と唐人町といった西側の町とを出入りするための門でした
とありました。そういえばかつて、
『東取入門(枡形門)』(↑)の方は訪ねたことがあるんですが、↓
「西取入門(黒門)」はまだ未訪問。未である。だから今回、訪ねてみましたよというお話しをしたいです。↓
さて、訪ねるにあたりまして、いまいちど書籍『古写真で読み解く福岡城』から参照させていただくと!?↓
「東取入門」と「西取入門」は唐津街道沿いに建っていました。「西取入門」は通称黒門。「東取入門」の枡形のような防御性はありませんでした
また↓
「西取入門」の外(西側)には簗堀(黒門川)に架かる黒門橋があって、その先が唐人町でした。西取入門の遺構は残っていません。黒門川も暗渠になっています
それはつまり↓
現在、門の遺構はありませんよ!?黒門があったという『黒門川』も現在は暗渠になっているよ!?
ということみたい。じゃあ行っても何もないんじゃん?何もなくなくない!?
と思ったけど、とりあず訪ねてみることにします。(※当記事内で使用している写真は、時期がバラバラです)
ちなみに『黒門川』というのは福岡城外濠の排水のために造られた人工排水路らしく↓
そこに黒門橋が架かっていて、その手前に【西取入門】があった、ということみたい。
ではさっそく福岡市中央区の『大濠公園』から出発したいと思います。↓
(※大濠公園のお話はこちらでも!↓)
公園を抜けると↓
向こうに見えるのが
「明治通り」沿いの「西公園入口」(↑)交差点。↓
その「明治通り」に沿って西へ進むと、今度は「黒門橋」の交差点が。↓
交差点そばには「黒門川」が流れていて、ここに現在【黒門橋】が架かっている。確かに架かってはいるんだけども↓
こちらの【黒門橋】は、かつて【黒門】があった時代の、いわゆる the【黒門橋】ではないんです。なぜなら【黒門】は旧唐津街道沿いにあったから。
ですので、旧唐津街道へ向かってみたいと思います。(旧唐津街道についてはこちらの記事も!↓)
目の前を走る「明治通り」を渡って、さらに北上。↓
すると、通りの脇にアートなオブジェが置かれている。なんすかこれ?門の跡的な?橋の跡的な?結局何かは分かりませんでした。↓
とりあえず近づいてみるとこんな感じで、↓
ちなみにこの通りの名称は『黒門川通り』。↓
通り沿いには「唐人町商店街」のアーケード入り口があって↓
入り口脇に案内板が立っていました。↓
読んでみるとこんな具合。↓
『唐津街道』。江戸時代に福岡藩や唐津藩の参勤交代に使われていた道。北九州の小倉から福岡城下を通過し、「荒戸」「唐人町商店街」そして「鳥飼八幡宮」の南側を通って西新商店街へ進み、唐津城下へ至る道筋です
そして↓
黒門があった黒門飴屋前から唐人町商店街入り口辺りの白壁と瓦葺きの家屋など往時の面影を残しています
つまり唐人町商店街のアーケードは、かつての唐津街道(旧唐津街道)に位置しているということ。
アーケードの通り向かいを見てみると、こういう細い道が続いていて↓
その細い道の手前のところにこんな石碑を見つけました。「黒門飴跡」。↓
ここに黒門飴屋があったという石碑。この場所にかつて黒門があったということ。説明書きの通りに写真と照らして見てみるとこんな具合!?↓
この旧唐津街道を東へ少し進んでみる。↓
すると西公園前の通りに出てきて↓
こちらにも案内板が立っていました。↓
ここは唐津街道の「荒戸」。↓
旧唐津街道は、さらにここから北九州の小倉へと続いていくのであった。↓
さて黒門の場所は分かりました。せっかくですので、黒門川(暗渠)を辿って、黒門川通りを少し歩いてみましょうか。↓
お話の続きは次回に!よろしくお願いします。↓
【黒門跡】
福岡市中央区唐人町1丁目12