だって門があったもんだから【西中島橋】

先日、昭和通りを歩いていたときのこと。「西中島橋」のちょうど真ん中あたりに、カップルシートみたいな空間を見つけた私。

カップルじゃなくても座っていいのかな。

そんな疑問を抱きつつ、近づいてみることにしました。橋の下にはゆうゆうと那珂川が流れています。

この石のベンチには、なにやらプレートが貼られてあって、こんな説明書きがありました。↓

慶長12年(1607)の福岡城築城によって、交易都市「博多」と新興都市「福岡」の二つの都市が双歴史を歩みはじめました。

東側は那珂川を境とし肥前堀・中堀を経て、西側は大堀とヤナ堀(黒門)で区画されていました。東の境目の那珂川縁には「枡形門」が設けられ西中島橋・東中島橋によって博多町と繋がっていました。

桝形門は、軍事的防衛と唐津街道の城下出入口の機能をもち、高さ10mの石垣と櫓門 でつくられており、唐津街道に通じる北門と福岡城大手門に通じる南門を備えていました。

どうやらこの橋に門があったらしいと。



ほう。これは気になります。そこで、『福岡市博物館』のサイトを参照してみることにしました。↓

福岡藩初代藩主黒田長政が福岡城を築城する際、城下と博多を結ぶため那珂川河口に町をつくり、東西に橋を架けました。そのうち西中島橋は約70メートルもの長さがありました。

そして

この橋をはさんで東が博多で西が福岡と区別されました。福岡側には高さ10メートルの石垣が築かれて、2つの町を隔てていました。

西中島橋を渡った福岡側には枡形の門が置かれ、福岡城下の重要な防衛拠点とされました。

那珂川から向かって西の「福岡」は新しくできた武士の町で、東の「博多」は古くからある商人の町。

その二つの町をつなげたのが西中島橋で、二つの町を分断したのが枡形の門、枡形門。

その枡形門では、通行人の検問が行われ、町の間の往来が制限されていたのだそう。

それからのち「福岡」と「博多」の二つの町は福岡市へと形を変えることに。その結果として役割を終えることになった枡形門は、全面撤去されたのでした。

現在の西中島橋は平成15年に新設されたもので↓

ちなみに、ベンチはカップルシートではないので、カップルが座ってもいいし、そこに私が一緒に座っても問題ないだろう。


【西中島橋/枡形門】

福岡市博多区中洲5丁目16