呑んでもないのに二日酔いなわけない【三宮神社】
前回の続きです。
前回、私は【駕輿八幡宮】(→ヤマタノオロチはやっぱ怖い【駕輿八幡宮】)そして↓
【駕与丁公園】(→バラの花言葉それは愛そして美【駕与丁公園】)を訪ねました。↓
まず『イオンモール福岡ルクル』を起点にスタートして、『JR長者原駅』を目印に【駕与丁公園】へ向かったわけですが、実はその道すがらに、とある神社を見つけていたんです。↓
その神社は、粕屋町酒殿(さかど)に鎮座する【三宮神社】。今回はそのお話です。
神社前の通りは狭くて車の通りがわりと多かったので気を付けて!それでは鳥居をくぐって境内へお邪魔します。↓
参道を通りますよ。↓
こちらはいかつい石塔。『平和塔』と刻まれているっぽい。↓
参道を振り返ってみるとこんな景色。↓
そしてイケメン狛犬からの↓
渋メン狛犬。↓
奥には拝殿、そして左手に燈籠。↓
由緒書きの石碑がありましたので、読んでみたいと思います。↓
ご祭神は「玉依姫命」「神武天皇」「神功皇后」。由緒は不詳です。明治五年十一月三日村社に定められました。
そして
境内社は「疫神社」と「祗園神社」である。
といったようなことが刻まれていました。↓
また、石碑の反対側にも説明書きがあって↓
筑前国続風土記附録の記載には、この地に『産土神』として「大祖権現」「宝満明神」「香椎大明神」の3つの社があって、それが1社に合祀されて【3つの宮】(三宮)になりました。
のち、歴史として残すべく碑を刻み建立されたのでした。
そんな感じのことが書いてありました。↓
手水舎で↓
社殿。↓
こちらは、『御酒殿』(みきどの)というそうで↓
そばの説明書きを読んでみるととても面白かったので、紹介したいです。↓
それはこんな具合。↓
『筑前国続風土記拾遺』には、ここ「酒殿」の地名の由来が書かれています。
酒殿村というのは神事「七宴席」の供料所で、神事に用いる酒を醸造し天満宮に奉納していました。
その御神酒を醸造する建物を「酒殿(さけどの)」といい、それがそのまま地名となって次第に酒殿(さかど)と呼ばれるようになりました。
「七宴席」というのは、年に七回行われている神事のことだそうです。また境内のこちらの建物は、その小ささから推測するに、お酒を祀るための建物もしくは道真公を祀る建物だとされているとのこと。
とにかく美しい地名ですね。こちらはご神木で↓
境内奥は広場になっていました。↓
もしも例えて言うならば、左からオーナー、オーナー夫人、社長、社長夫人、監督、助監督といった雰囲気がある。↓
そして広場の隅には、境内社の『疫神社』。↓
こちらも、そばに案内板がありましたので読んでみますね。↓
江戸時代の享保年間に、疫病(伝染病)が流行し多くの死者が出たため、病気から守られるよう願って建てられたと伝えられています。
『享保の飢饉』といわれるもので、食物の不作に加えて伝染病による犠牲者も大変多かったといいます。明治時代の終わりごろまではお祀りが行われ、露店が出るほどのにぎわいでした。
とのこと。
この酒殿の地では、かつていったいどんなお酒が醸造され、奉納されていたのかな。かな。
【三宮神社】
福岡県糟屋郡粕屋町酒殿4