日田街道とか言ってたら長崎街道【日田街道13】

前回の続きです。(→ここからが本当の日田街道だ【日田街道12】

福岡県筑紫野市。懐かしい匂いがどこからともなく漂う醤油工場を抜けると↓

そこは宝満川でした!!↓

その宝満川に架かる宝満橋を渡り↓

迂回するように延びている道がありますので、通りを川に沿って左へ入り↓

すかさずこちらの通りを右へ入って進んでいきます。ちゃんと案内板が出ていのが嬉しいね。↓

ここから急に辺りの景色ががらりと変わった感じがします。↓

のどかな田舎道を先へ進んでいくと↓

通りの途中に案内板が出ていて、左へ行くと『古城』『童男丱女岩』などなどあるらしく↓

私はさっそく訪ねてみたんだけど、そのお話はまた別の機会によろしくどうぞ!!
(→これがあの徐福伝説か!(分かってない)【童男丱女岩】)↓

さて、引き続き日田街道を進みます。↓

通りには石像っていうのか↓

こういったものが立っていて↓

これは違うけど↓

こちらにも。↓

さらに進むと、左手に筑紫野病院という大きな病院があって↓

病院前の通りの脇に↓

郡境石を発見です。↓

説明書きもあったので↓

さっそく読んでみることにしました。↓

夜須郡と御笠郡の境を示すもので、夜須郡二と御笠郡天山との境に立てられています。二の集落は山家下宿として賑わいをみせていました。

とのこと。そういえば、大野城市雑餉隈の通り沿いで見かけた郡境石はレプリカで↓

本物は「大野城心のふるさと館」に展示してあったんだけど↓

こちらはどうなんでしょう。本物なのかな。↓

通りの先をちょっと進むと↓

左手に石碑とお堂があって↓

近づいてみると、正面はこんな具合。↓

隣りに案内板も立っていましたので↓

読んでみるとこんな具合。↓

『敬止義塾』。福岡藩士であった杉山灌園が自宅の離れで塾を開いていました。明治23年に灌園が亡くなったため塾も閉鎖されました。

ちなみに、その塾長である杉山灌園の孫が、ドグラマグラの作品で知られる夢野久作(杉山直樹)とのこと。(→ブウウーンっていうのはつまり【夢野久作・一行寺】



あらあら事故多発ですって!!気を付けて!!↓

さらに進むと↓

分かれ道。↓

どうやら左が『旧長崎街道』で↓

『日田街道』はこの道をまだまだ真っ直ぐ。↓

前を横切る道も通り過ぎて、それでも道は続くわけですけど、今回はここでお開きにします。↓

でもね、通りの脇にこんな案内板が出ていたので↓

ちょっと寄り道です。左へ曲がって↓

通りに沿ってしばらく進んでみると↓

おや駅ぞ。↓

この駅は『JR山家駅』というんだそうで。↓

私は全然知らない町だけど、どうやらたくさんの史跡があるらしく↓

またあらためて、ゆっくり訪れたいです。↓

そして日田街道は次回に続きます。

続きはこちら!(→かつての旅人の息遣いが聞こえてきた(幻聴)【日田街道14】


【筑前山家駅】

福岡県筑紫野市山家