運河と街道は被ってたりとか【日田街道10】

日田街道タドラーでバリバリな私です、こんにちは。↓

前回は「番外編」なんて気取ったことを言って↓

2回に分けて

太宰府までの『さいふまいり』を満喫しましたよ。↓

今回からは再び日田街道を辿る旅路に戻ります。よろしくどうぞ。↓

それでは関屋の交差点から再開です。↓

御笠川にかかる関屋橋を渡って↓

3号線を越えると↓

『西鉄都府楼前駅』。↓

ここから少しだけ↓

南へ進み↓

この角を右折すると↓

西鉄大牟田線の踏切があります。↓

その踏切を渡ったすぐのところに見える、緑のこんもりしたところが『東蓮寺公園』で↓

この公園の入り口には、日田街道にまつわる案内板が出ていましたので↓

さっそく読んでみました。心躍らせて。↓

公園西側の道路はかつての日田街道です。江戸時代に天領(幕府直接の支配地)を治める西国郡代が置かれた日田と福岡を結ぶために整備された道路。ここを南へ進むと通古賀集落。また通古賀から二日市への途中には、かつて白川と呼ばれた鷺田川が街道に沿って流れています

そして↓

鷺田川(白川)は18世紀に福岡と二日市を結ぶ運河の一部として利用され、現在は「入船」という地名が残っています

おお!これはつまり

大野城市を通る「新川緑地」にまつわる運河のことですね。↓

参照はもう少し続きます。↓

この付近は小字で東蓮寺といいます。神武天皇に仕えたという伝説を持つ田中熊別の霊を祀るために建てられた寺と伝えられます。東蓮寺に由来のある薬師山が線路越しに見えます

奥に見える緑の森が「薬師山」なのでしょう、多分。↓

案内板の地図には、日田街道が辿る道筋が記されていましたので

 

これは助かるわあ!!と一言呟いて、先へ進むことにします。↓

通りの先に見える陸橋の下には↓

石碑があって「北ノ橋」と記されている。↓

細めの通りを少し進むと

「王城神社」の案内板が出ていて↓

さらにもう少し進むと、先ほどの説明書きにもあった『鷺田川』a.k.a『白川』がさらさらと流れていますよ。↓

上に架かるは多々良橋。↓

その橋のそばに説明書きがありましたので↓

読んでみたいと思います。↓

平安時代、この近くにかつて優雅で名の通った檜垣媼が住んでいました。ある時、大宰大弐藤原興範が水をもらおうとしたところ、媼は水を持って出てきて、こう詠ったのでした。「年ふれば わが黒髪も白河の みづはくむまで 老いにけるかな」

また

歌や場所については諸説あり。榎社の南を流れるこの付近の鷺田川を「白川」とよび檜垣媼にかかわる川として名所になっていました

位置関係を地図で見るとこんな具合。↓

橋を渡り、そして川に沿ってさらに進みます。↓

本町通りの交差点の手前には、迎田橋があって↓

ここにはいくつかの石碑が並び立っているんだけど、私にはなんだか分かりません。↓

とりあえずそばへ寄ってみてみると、いくつかの橋の名前が刻んでありました。↓

この交差点を左へ進めば『西鉄二日市駅』だけど↓

「日田街道」は、交差点をまっすぐ突き抜けるのだ。↓

でもね、突き抜けるのは次回のお話。今回はここまで!!

えっ?飽きてませんけど!?なんですか!?
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【西鉄二日市駅】

福岡県筑紫野市二日市中央6丁目1