隕石が桶に落ちる確率は低いけど落ちる【沖濱稲荷神社】

先日、福岡市博多区に【沖濱稲荷神社】を訪ねました。

【沖濱稲荷神社】は、博多区古門戸町の「大黒通り」沿いに鎮座。↓

境内に入ってすぐのところに由来書きがありましたので、さっそく読んでみたいと思います。↓

古来の伝承によりますと、この付近の海岸であった「沖の浜」に、遣唐使として唐から帰国した空海(弘法大師)が立ち寄りました。

この地で船旅の疲れを癒し、しばし、まどろんだのでした

そしてまどろみの中で空海はこんな夢を見たのです。↓

雲に乗った「稲荷大明神」が現れて、空海にお告げを授けます。『高野山に弘道の本拠を開くべし』

そこで空海は

まずこの地に「光照寿院(弘法大師堂)」と「稲荷社」を建立し、そして高野山に「金剛峰寺」を建立したのでした

と、そんな言い伝えがあるのだそうです。

また1777年(江戸時代)のこと。↓

ある時、町内の酒屋の大桶に星石が落ち、人々はこれを宝珠石と称し【沖濱稲荷神社】のご神体として信奉したのでした

この石はなんでも、見ると目がつぶれてしまうという恐ろしい物体だったらしい。さらにお話は続きます。↓

 

時は過ぎ、太平洋戦争中のこと。↓

昭和20年6月19日の空襲により【沖濱稲荷神社】は戦災を受け、その時に石も行方不明になってしまいました

そして行方不明のまま現在に至る、ということらしいです。なんとも惜しいものを無くしてしまいました。惜しいっていうか、危険な物体なんだけど。大丈夫!?

【沖濱稲荷神社】境内を見渡してみますと、左手に『川上音次郎生誕の地』の石碑と↓

案内板がある。↓

また境内には他にも、戦災者を供養する『戦災地蔵』や↓

『旧対馬小路』の碑も立っていました。↓

ちなみにこの「対馬小路」という名称は、対馬藩の蔵屋敷があったことからついた地名なんだそうです。

 

(※川上音二郎氏に関してはこちらの記事にもお話がありますので、是非!↓)

終わり。


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【沖濱稲荷神社】

福岡市博多区古門戸町3-8