そっちから来たかーだった話【高橋紹運首塚】
前回の続きです。(→あえてその場を選んだというお話も【高橋紹運公墓所】)↓
私はひょんなことから太宰府市にある山を登りはじめ↓
『岩屋城の戦い』のお話をしながら、【高橋紹運公墓所】までたどり着きました。これが前回のあらすじ。↓
でね!?でさ!?私はちょっと思い出したことがあるんです。だから今回はそのお話をしたいです。↓
先日図書館へ行ったときのこと。館内には本を探す検索機みたいな機械があって、私は調べものがあったので、小学校低学年くらいの女子の後ろに並んで待っていました。
するとその前の女子が振り返って私にこう尋ねるんです。
「ちゃ ってどう書く?」
文字の打ち方が分からないらしい。話しかけられるの嫌だなあと思ったけど、仕方がありません。
「え?thaかな?」と答えると、女子は「はあ?まだ夏気分?」みたいな顔してる。
確かに!!chaだったわ!!ごめん間違えた!!とか思ってたら、その女子は走り出して
「ママー、ちゃ ってどう書く?」とかデカい声出してる。これはさすがに勘弁と思って離れようとしたら、こっちに向かって
「ち って書いて 小さい や」と教えてくれたお話を今回したいわけではないんです。
さて、少しだけ前のこと。二日市に、菅原道真公の娘であり隈麿の姉である『紅姫』の供養塔があると聞きましたので↓
私はその場所を探し歩いていたんです。↓(→ところで結局紅姫はいずこへ【紅姫供養塔】)↓
細い坂を上って↓
さらに先へ進むと↓
案内板があって↓
オブジェ的ななにかがありました。↓
では案内板を読んでみますね。↓
こんな具合。↓
高橋紹運首塚伝承地。この塚は天正14年(1586)、大友氏と島津氏との合戦で、岩屋城(四王寺山中腹)にて全員玉砕という壮烈な戦闘を行い自刃した城主の高橋紹運の首をとり実検しこの地に埋めた、と「筑前国続風土記」(貝原益軒)に記されています。
そして、高橋紹運の辞世歌はこちら。↓
流れての 末の世遠く埋もれぬ 名をや岩屋の苔の下水
訪れていたことをすっかり忘れていたので、思い出すことができて良かったです。っていうか、私が登っていた山は四王寺山だったのか!!新発見!!
ということで、四王寺山登りの続きは次回にまた。
続きはこちら!(→写真でみるよりだいぶいい感じ【岩屋城址】)
(※記事内写真の一部は写真フリー素材サイト『unsplash』からお借りしています。)
【高橋紹運首塚】
福岡県筑紫野市二日市北14