コンプリートしたくなる気持ちあるある【御陵宝満神社】
以前、福岡県大野城市にある【善一田古墳公園】を訪ねたときのことです。(→君が想い出で過ぎ去るあなたなのに【善一田古墳公園】)↓
公園近辺をふらふら漂っていると、すぐそばに【乙金宝満神社】が鎮座するのを見つけました。(→昔あって今なくて昔なくて今ある【乙金宝満神社】)↓
神社の境内には由来書きがあって↓
そこにはこう書かれていたんです。↓
文禄4年(1597)、中村御陵の宝満宮から当村御手洗の古宮の地に勧請し,元禄年間(1688-1704)に現在地に遷宮されたと伝える。
そんなことをふと思い出した私は、その【中村御陵の宝満宮】を訪ねてみたくなったのであった。↓
さて、3号線を福岡方面から太宰府方面へ向かって進み↓
【金隈遺跡公園】を過ぎて(→みんなー!こーんにーちわー!!【金隈遺跡公園】)↓
御笠川4丁目北の交差点のちょっと手前辺りで
左手へ入っていきます。↓
そこから、ごにょごにょっと通りを進んだりして↓
例えば御陵中学校を目印にしたりして↓
うねうね進むと↓
前方に【御陵宝満神社】が見えてきました。↓
通りをはさんで貯水池がある。↓
それでは鳥居をくぐって↓
境内へお邪魔します。ここがつまり【中村御陵の宝満宮】というわけです。
で、「中村」というのはなんのことでしょう。中(地名)の村ってことなのだろうか!?↓
社殿の裏に見えるのが御陵中学校のグラウンドで↓
境内に由来書きがありましたので↓
読んでみたいと思います。↓
ご祭神は「神功皇后」「玉依姫命」「応神天皇」。71年から130年の景行天皇の時代、天皇は筑紫に下り熊襲を征服。その時、御稜の宮にご祈願されました。
それから時を経て、192年から200年の神功皇后の時代には↓
三韓征討の際、神功皇后はこの神廟にお祈りされました。また荷島田村の羽白熊鷹を討った時も、御稜の宮にお祈りされました。
「羽白熊鷹」といえばこんな言い伝えが。↓
秋月の豪族「羽白熊鷹」の討伐へ向かう途中に、神功皇后の笠が飛んでいったとされるその場所が、福岡県大野城市にある【御笠の森】といわれています。
さらに時を経て、1592年から1681年の頃には↓
中・乙金・山田・筒井・井相田村の勧請を受け、それぞれに分社されました。
とのことだそうです。
ぐるっと振り返るとこんな景色。↓
拝殿内をちらっと。↓
本殿からの↓
グラウンド。↓
「御陵宝満神社縁起」。ご祭神であり水の神とされる「玉依姫(たまよりひめ)」について記されていました。↓
社殿は真新しい感じだったけれど、歴史が詰まった【御陵宝満神社】。かつてこちらから五社に分社され、私はそのうちの一社(乙金)をすでに訪ねているわけです。↓
それはつまり、残りの四社も訪ねて全コンプリートしたいよ!?ということ。
帰りに御笠川の交差点から【御陵宝満神社】のほうを望む私。
ということで、今後の続きもどうぞお楽しみにしていただければ。
(→新人(犬)とベテラン(犬)【井相田宝満宮】)
【御陵宝満神社】
福岡県大野城市中1丁目9-7