鬼瓦推定地はいい感じの答え合わせに【大宰府展示館03】

前回の続きです。↓

前々回、前回と福岡県太宰府市にある施設【大宰府展示館】館内の見学を楽しんできました。

今回も元気に、歩きまわりたいと思います。

さてこちらの展示ケースの中には「老司式の瓦」と「鴻臚館式の瓦」が並んでおり、↓

添えられた説明書きによりますと、これらはそれぞれ、↓

老司式は福岡市南区にあった老司瓦窯で焼かれたもの。Ⅰ式にⅡ式があって、Ⅰ式は主に観世音寺創建時に使用され、Ⅱ式は第Ⅱ期大宰府政庁や官衙に使用。一方、鴻臚館式は大宰府政庁や鴻臚館などで使われました

とのこと。(※老司瓦については、こちらの過去記事も!↓)

それから「鬼瓦」。↓

こちらも説明書きを読んでみると、↓

古代大宰府の主要建物の屋根には瓦が葺かれており、その棟端を飾ったのが鬼瓦。展示している鬼瓦は1981年の河川工事で偶然発見

とあり、その発見場所がこちらの地図。↓

で、ですよ。聞いてください。かつて訪ねた『水城館』館内でも、鬼瓦のお話があって、↓

私は当時、お話や絵図からの情報を基に勝手に推測した上で、鬼瓦発見の地を訪ねてみたんです。からの、今回の、ほら聞いて!である。↓

結構正解っぽくないですか。ほぼほぼ絵図を参照して向かったんですけど。とにかくとっても嬉しくて幸せ。

話変わってこっちには「源氏物語の大宰府」についてのあれこれが記されています。↓

そうそう玉蔓。↓

(※以前『弘法水』を訪ねた際に、玉蔓のお話をききました!↓)

ちょっと引用するとこんな具合。(太宰府市文化ぶれあい館HP内記事からの参照です)↓

観世音寺の北には「清水井」と呼ばれる湧き水の池があり、観世音寺の山号「清水山」は、これによるといわれています。『源氏物語・玉鬘の巻』にも「清水の御寺の観世音寺」と記されています

(※玉蔓についての続きのお話はこちらでも!↓)

さて、ここからは館内右部へ移動します。『観世音寺復元模型』。↓

それから、前回のお話に出てきた『般若寺跡』。↓

説明書きによりますと、↓

般若寺跡。筑紫太宰帥蘇我日向が孝徳天皇の病気平癒を祈り、645年に建立したといわれる古代寺院。太宰府市朱雀2丁目に般若寺という字名、住宅地の一角に塔跡の一部と心礎(塔の中心柱の土台となる石)。近くには鎌倉時代の七重石塔

続きます。↓

筑紫野市にあった塔原廃寺が奈良時代に大宰府へ移転したという説も

とありました。(※般若寺についての続きのお話はこちらで!↓)

そして館内右部の一番奥にあるのが!!↓

『玉石敷の溝』だ!え!?なに!?

そうです、これは、↓

奈良時代の溝を当時の姿のまま公開。この場所は大宰府政庁の東側に位置。北からの排水の用をなしたと考えられる。溝の廃絶期は平安時代中ごろと考えられます

とのこと。館内右部には他にも、例えば『国分寺跡』の詳細な解説があったり。以前実際に訪ねてはみたものの、↓

その全容がいまいちつかめなかったんですが、

こうして模型や図での解説があれば一目瞭然です。分かりやすい。ありがたい。

といったところで、展示館見学はこの辺でおひらきとなります。

興味のある方は是非【大宰府展示館】へ!ご清聴ありがとうございました。完。


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【大宰府展示館】

福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1

開館時間:9:00から16:30

休館日:月曜日

入館料:大人200円 大学生高校生100円 中学生以下無料