難易度高めな古墳かも【老司古墳】【卯内尺古墳】

福岡市南区の老司地区に【老司古墳】を訪ねましたので、今回はそのお話です。

南区「野多目交差点」から「みやけ通り」を那珂川方面へ向かいます。↓

通りそばには、那珂川が沿うように流れており

しばらく進むと、福岡市と那珂川市の境辺りに、こんもりした森が見えてくるんですけど↓

こちらの森に鎮座するのが【老司老松神社】です。鎮守の杜。↓

ゆるやかな坂を上って↓

ここを右へ曲がり、さらに細い道を進むと↓

そこには「福岡少年院」があり、今回の目的地【老司古墳】はこちらの院内のどこかに存在しているらしいんです。

もちろん(多分)(少なくとも今回は)見学できませんが、その前にとりあえず

【老司古墳】がどうして院内にあるのか調べてみますと↓

本格的な古墳の調査に入る前に、この地に少年院がすでに開院していたため、このような形になっています

とのこと。少年院正門辺りをウロウロしてみたけど、【老司古墳】に関する標識や案内板などは、特に見当たりませんでした。そこで念のため近辺をぐるっと歩いてみたら↓

ちょうど院の裏側に小山みたいな場所があって、そのそばに復元模型と案内板を発見。歩いてみて良かった!!↓

さっそく案内板を読んでみますね。↓

【老司古墳】は5世紀初めの前方後円墳で、墳丘の全長75m、後円部直径42m、高さ8m。

福岡平野の豪族の墓だと考えられ、複数の成人男女が葬られていたようです。

古墳の石室からは、三角縁神獣鏡などの副葬品が出土しました

(石室の様子↓)

ちなみに、通りの向かいにも古墳の案内板があって↓

こちらには【卯内尺(うないじゃく)古墳】と記されていました。↓

もちろん読んでみます。↓

【卯内尺古墳】はかつて、その一部分が病院の敷地内にあったけれど、現在は全て消滅しました。

全長75mの前方後円墳で、仿製(ぼうせい)三角縁神獣鏡などが出土しました。

【老司古墳】より早い4世紀中頃の築造で、そのため【老司古墳】の被葬者の、その前の首長だと考えられます

こうして世代を超えて、権力者のお墓が隣り合っている形はなんだか不思議。お互いバチバチしないかな。大丈夫!?↓

敷地外からお写真失礼します。↓

では再び少年院正門前に戻りますね。

 

というのも、実は先ほど、正門前のところに【老司瓦窯跡】なる案内板を見つけていたんです。↓

瓦窯跡はすごく立派に整備されていて↓

むしろここだけ特別に整備され過ぎているので、周囲から微妙に浮いている感じがするのは、きっとあなたの気のせいだろう。↓

では案内板を読んでみます。↓

【老司瓦窯跡】は、昭和11年に発見された全長11mに及ぶ地下式登り窯です。

この窯で焼かれた瓦は、「老司式古瓦」と呼ばれ、7世紀後半から8世紀初頭にかけて造営された『大宰府観世音寺』の創建瓦に用いられたことが明らかになっている

とのこと。

(※観世音寺についてはこちらの記事もどうぞ!↑)

この何の変哲もない住宅街に、古代の痕跡が溢れている。↓

さらに!!ここ【老司瓦窯跡】そばには『老司老松神社』が鎮座していて、その境内にも古墳があるとかないとか!!

そのお話はまた次回!!よしなに。↓


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【老司古墳】

福岡市南区老司4-20-1

【卯内尺古墳】

福岡市南区老司3丁目33-1