玉蔓(二十歳/女性)、九州に流されて【弘法水】
福岡県太宰府市の観世音寺地区にある、
『観世音寺』(↑)そして↓
『戒壇院』(↓)の間にある細い道を、
北へ向かいます。↓
それから
玄昉の墓(↑)を通り過ぎたところに↓
『歴史の散歩道』が目の前を横切るのであった。こんにちは。↓
この道をちょっと右へ進むと、
そこには『日吉神社』(↑)が鎮座しており↓
左に行けば『武藤資頼・資能の供養塔』(↓)。こちらは
次回訪ねるつもりです。↓
さて今回はといいますと、散歩道を横断して真ん中を突き進んでやろうというお話です。↓
通りの右側に見える森が、鎮守の杜『日吉神社』で、↓
もう少し歩いてみると↓
左手に案内板が立っており、そこに【池渕弘法大師】と記してあります。↓
ここが今回の目的地【弘法水】。↓
奥の方を見てみると、緑のトンネルみたいになっていて↓
そのトンネルの中へ入っていくと、テーブルと椅子があってティーパーティー的な!?↓
そばには小さな池、さらにその奥には庵というか小部屋があります。↓
では、ちょっとお邪魔して。↓
こちら【弘法水】の『弘法』というのは、ご存じ『弘法大使・空海』のこと。そして↓
空海は遣唐使として唐へ渡って仏教を学び、2年後に帰国。予定より早く帰ってきたせいか入京を許されず、3年ほどを大宰府の観世音寺にて過ごしたのでした
ということらしいです。
小部屋の室内には像が並んでいて、感覚の鋭い人でしたら、なにかしらのパワーを吸収したり放射したりしそうな予感で満ちた雰囲気。私は鈍いから良く分かりません。↓
こちらに見えるのが、いわゆる『弘法水』とのことで、↓
「太宰府文化ふれあい館」のHPに詳細な記事がありましたので、参照させていただきます。↓
観世音寺の北に「清水井」と呼ばれる湧き水の池があり、観世音寺の山号「清水山」はこれに由来。『源氏物語・玉鬘の巻』にも「清水の御寺の観世音寺」と記されています
また
『筑前国続風土記拾遺』にも、「池の周りに観音菩薩と弘法大師の石造があり、弘法水と呼ばれている」との記述。また敷地内には、「筑紫四国霊場第三番札所 池渕弘法大師」のお堂も建てられています
かなり昔から知られる有名スポットとのこと。
ところで源氏物語の『玉蔓』というのはいったい!?
wikipediaの説明によると↓
玉蔓というのは二十歳の女性で、九州に流されました。その場面に弘法水が出てきます
ということなんですって。(※玉蔓のお話はこちらでも!↓)
太宰府のお話は次回に続きます。↓
【弘法水】
福岡県太宰府市観世音寺4丁目17-23