三条と右近は根本的なところで対立【玉蔓】
先日訪ねた、福岡県太宰府市の施設『大宰府展示館』の館内展示の中に、
『源氏物語の中に出てくる大宰府』として、【玉蔓(たまかずら)】のお話があったんです。それを見て、あ!これ知ってると思ったのでした。こんにちは。
説明しよう。結構以前のことになりますが、福岡県太宰府市観世音寺地区にある『弘法水』を訪ねた時に、そこで【玉蔓】のお話を聞いていたんです。↓
こちらは、その時に読んだ『太宰府ふれあい館』HPの説明書きで、再度参照させていただきます。
観世音寺の北に「清水井」と呼ばれる湧き水の池があり、観世音寺の山号「清水山」はこれに由来。『源氏物語・玉鬘の巻』にも「清水の御寺の観世音寺」と記されています
え!あの有名な源氏物語のお話の中に大宰府が!!と感動したはいいものの、源氏物語をちっとも知りませんから。感動は長く続かず、その話題は私の中から雲散霧消。
それから時を経て今回、ここ『大宰府展示館』にて【玉蔓】との再度の出会い。これすなわち、THIS IS 運命。ということで、源氏物語について書かれている本をいっちょ読んでみっかと思い立ったんです。
ダッシュで最寄りの図書館へ向かって借りてきた本がこちら。『源氏物語を知っていますか/阿刀田高』。
結構分厚い本なので全部読めない。かいつまんでちょっとだけ読みたい。さっそく目次をみると、8章の中のP220「第二十二帖(玉蔓)に移って」辺りに、関連するお話がありそうです。ちなみにここだけ読みました。
だがしかし、ナマイキな読み方をしちゃった結果、夕顔とか夕霧とか紫の上とか明石の君とか末摘花とか、もう知らない人がわんさか出てきて、わけが分かりません。
ここで諦めるしかないのか。え待って、そういえば!入館した時にもらったパンフレットがあるじゃない!というわけで、
ここからはパンフレットを読みながら、お話していきたいと思います(参照させていただきます)。
源氏物語22帖「玉蔓」巻は大宰府が舞台として描かれています。幼少期に(玉蔓の)母の夕顔が失踪(実は急死)。玉蔓はその死を知らされず。夕顔の乳母は、夫が大宰少弐として大宰府に赴任する際、4歳の玉蔓が迫害されないよう、共に連れて大宰府へやってきたのでした
続きます。↓
5年の任期が終わり都へ戻る前に少弐(乳母の夫)は亡くなってしまいます。のち20歳になる玉蔓は美しく成長。その評判を聞きつけて肥後(熊本)の大夫監が求婚。恐れた乳母たちは玉蔓を連れて帰京したのでした
といったお話が、太宰府を舞台として知られているとのこと。源氏物語には、そののちの出来事として『観世音寺』にまつわるお話も出てくるそうなんです。↓
京へ戻った玉蔓一行。奈良の長谷寺へ参拝に。そこで玉蔓の下女三条は、旧知の右近なる女性と偶然会うも言い争いに
続きます。↓
三条の理想を言えば、玉蔓には、大宰府の権力者もしくは大和の国の長官の奥さまになって欲しい。一方右近的には、玉蔓にはその程度に収まって欲しくない
すると三条はこう言うのであった。↓
大宰府の大弐の館の奥さまが観世音寺に参った様子は、天皇の行幸に劣るものでしたか!?
なぜかムキになる三条。都会と田舎の争い!?プライド!?とにかくこうした文脈において『観世音寺』は登場するのでした。ちなみに玉蔓はといいますと、
右近との縁により光源氏の住む六条院に迎えられ、貴族社会の舞台へ駆け上がっていくことになります
そういう展開なんだそう。これが紫式部の答えだ!終わり。
【大宰府展示館】
福岡県太宰府市観世音寺4丁目6-1
【弘法水】
福岡県太宰府市観世音寺4丁目17-23