11人の男女が扇を持ち輪になって踊る【夏越し祓い】
前回、『薬師の森』そして『乙金』というキーワードに誘われて、大野城市乙金地区に鎮座する『乙金宝満神社』を訪ねました。
以前にも訪ねたことがありますので、再訪問というわけです。
さっそく境内へお邪魔して、社殿そばに立つ説明書きをあらためて読んでみたんです。するとそこにはこんな気になるお話が記されていたのでした。↓
『夏越し(なごし)祓い祇園踊りの絵馬』。乙金宝満神社の拝殿に掲げられていた絵馬。11人の男女が手に扇を持ち輪になって踊る姿が描かれています。古代から6月と12月はそれまで半年の穢れを祓い清め、その後半年の無事を祈る「祓え」の神事が行われてきました。旧暦6月30日にを「夏越し祓い」といい、夏は災害が多く疫病も流行ったため、茅の輪くぐりや人形流しの祓えをして乗り切ったのでした
夏越し!?なんだか聞き覚えのある言葉だけど!?なんだったっけなあと記憶の底を辿ってみると、あそうだ!
以前に訪ねたことのある『筑紫野市歴史博物館』館内にて配布されていた、
「ちくしの散歩」(筑紫野市教育委員会)というルーズリーフのプリントの中に、「よどと夏越し」というページがありました。
というわけで、そのプリントから該当箇所を一部参照させていただきます。ありがとうございます。↓
筑紫野市では子どもたちの夏祭りを「よど」といいます。よどは「宵宮」の意(柳田国男/日本の祭)。天満宮で7月24日に「よど」が行われるのは、この日が道真公の命日の前日にあたるからで、御通夜の意味があるとされています。
(※子ども!それから祭りといえば!『六月堂』のお話を思い出しますよね!?こちらの記事も是非!)
続きます。↓
また各地には旧暦6月に夏越し祭りを行うところがあります。これは1年の前半6ヶ月間のけがれをはらい、後半6ヶ月間の健康を祈る行事。名前を書いた人形や息を吹きかけた人形を川に流したり、焼いたり、あるいは茅で作った輪をくぐったりします。市内では二日市八幡宮の茅の輪くぐりが有名。輪をくぐるのは、その年の後半に入る意味もあるとされています
これらは大野城市ではなく筑紫野市としてのお話でしたが、大きな違いはなさそうです。
ついでに今度はwikipediaを使って『夏越し』にまつわる関連ワードを調べてみると、『大祓』の項にこんな記述がありました。
大祓。民間では、毎年の犯した罪や穢れを除き去るための除災行事として定着した。民間の場合、6月のものは「夏越の祓」(なごしのはらえ)、12月のものは「年越の祓」(としこしのはらえ)と呼び分けられる。
夏越の祓では多くの神社で「茅の輪潜り(ちのわくぐり)」が行われる。参道の鳥居や笹の葉を建てて注連縄を張った結界内に茅で編んだ輪を建て、ここを氏子がくぐることで、半年間に溜まった病と穢れを落とし残りの半年を無事に過ごせることを願うという儀式
なるほど茅の輪くぐりについて良く分かりました。ちなみに『茅(かや)』とはなんぞと調べてみると、↓
茅(かや)は、古くから屋根材や飼肥料などに利用されてきた、イネ科あるいはイネ科およびカヤツリグサ科の草本の総称。
屋根を葺くために刈り取った茅をとくに刈茅(かるかや)と呼び、これを用いて葺いた屋根を茅葺(かやぶき)屋根と呼んだ。
かつての農村では牛など家畜の飼料、田畑の肥料、燃料などさまざまな利用があった。日本神話には草の神として「カヤノヒメ」が登場
なんだそうです。そういえばテレビのニュースで、櫛田神社の茅の輪くぐりを見たことがあるような気がします。あれがこれか!これがあれだったのか!
また、先ほどの解説の中には、柳田国男著「日本の祭」についても言及がありましたので、
さっそく図書館で借りて読んでみたんです。
すると、「ヨド」に関してもう少し詳しい説明がありました。↓
中国西部から九州にかけて宵宮をヨドといいヨドン夜ヨドン晩といい、またヨド参りという語もあり、祭の始まりをヨドを立てる、祭の終わりをヨド払いともいう
といったところで、今回はこれにておしまいです。前回気になっていた博多の町絵師『村田東圃』については、またいつか分かり次第ご報告したいです。終わります。
【筑紫野市歴史博物館】
福岡県筑紫野市二日市南1丁目9-1