解けたと思った答えが問題だった【井尻地禄神社】

先日、日田街道を辿った時のお話です。↓

福岡城から甘木へと向かう道すがら、福岡市南区の大橋地区から井尻地区へと続く↓

この細い路地を通っていると↓

道の左手奥にちらりと鳥居が見えたのであった。↓

近寄って見ると↓

参道はわりと長かったのであった。こんにちは。↓

マンションの隣りに境内があって↓

おもむろに振り返るとこんな景色。↓

鎮座するのは【井尻地禄神社】。さっそく境内へお邪魔したいと思います。こちらはご神木でしょうか。↓

社殿があって↓

拝殿内をちらっと失礼します。↓

手水舎。↓

本殿。↓

由来書きがありましたので↓

読んでみると、こんな具合。↓

【地禄神社】。ご祭神は「埴安神」。五穀豊穣の神様です。青柳種信の『筑前国続風土記附録』には「井尻村の地禄天神社」と記載があります

そして↓

敷地には多数の奉献石造物があり、また社殿後方には阿弥陀を意味する梵字による、先祖慰霊の碑が立てられています

さらに↓

【熊野神社】。地禄神社の左隣には【熊野神社】が鎮座しています。由緒は不詳だけれど、やはり『筑前国続風土記附録』に「熊野権現社」の記載があります

続きます。↓

毎年7月28日に、『六月堂』と呼ばれる儀式があり、本来は子どもだけで執り行われる祭典。現在は夜に花火などして楽しみます

とのこと。たしかに境内には石碑がいくつもあって↓

こちらが↓

記載の「阿弥陀の碑」かな。↓

戦国時代に亡くなったご先祖様の慰霊碑なのだそうです。また境内奥には↓

「井尻高等小学校跡の碑」も。↓

あら、狛犬。↓

こちらは鳩の?鳩が?鳩で?↓

では【井尻地禄神社】隣りに鎮座するという【熊野神社】も訪ねてみますね。↓

と思ったんだけど↓

改築中のようでした。(これは2021年9月頃の出来事です)↓

境内には入れなかったけれど

 

さきほど読んだ【熊野神社】の説明書きの中に、ちょっと気になる箇所がありました。それは『六月堂』なる記述。

というのも、以前、雑餉隈の山田交差点そばにある【木像聖観音立像】を訪ねた際に

こんなお話を聞いていたんです。↓

毎年7月17日に子ども達だけでお祭りをしてきました。この祭りを六月堂といいます。(大野城市HP参照)

この「六月堂」がいったいなんなのか分からなかったんです。そして今回、再びである。

ちなみに、ここ【熊野神社】が鎮座する井尻地区は雑餉隈地区の隣でもあるし、「六月堂」のルーツは同じものなのかもしれません。子どもだけのお祭りということ。↓

そこでふと思い浮かんだのが、以前訪ねた、福岡市博多区に鎮座する【半道橋地禄神社】のこと。

こちらにも、子どもたちだけでお祭りをするというお話がありました。

わりと一般的な風習なのかな。↓

そして、もう一つのナゾ。「六月堂」という名前の由来が分からない。なんでなんで。

謎が解けたと思ったら、逆に深まるばかり。完。


【井尻地禄神社】

福岡市南区井尻5丁目5-27