田植が終わると苗3束を供えるという信仰【庚申塔】
前回読んだ書籍『春日風土記/ 春日市教育委員会』に引き続きまして、
今回は【続・春日風土記 / 春日市教育委員会】を読みましたので、そのお話をしたいです。こんにちは。
以前訪ねた春日市の湧水跡『走り井』がある下白水地区界隈には、かつて『天浦城』があったと、奴国の丘資料館で手に取った資料で知りました。
そして実際に訪ねてみたお話がこちらの記事。↓
今回、書籍【続・春日風土記 / 春日市教育委員会】を読んでいたら、ちょうどこちら天浦城のお話が詳細に記してあったんです。
そこで復習がてらお城跡を再訪問しながら、書籍の一部を参照させていただきます(ありがとうございます)。ではさっそく始めましょう。↓
福岡平野には小さなお城がたくさんあってその一つが天浦(白水)城です。城が推定される場所の地名は古水。城主は筑紫氏の家臣嶋鎮慶(嶋備後守忠成)
地名古水を冠するこちら『古水天満宮』(桜の頃の写真)。↓
(※走り井のお話はこちらで!↓)
天浦城そばの『走り井』にまつわる案内板は通りの角に立っています。↓
書籍からの参照は続きます。↓
城はほぼ平地にあり、主郭の広さはそう大きくなく、馬出し(攻撃拠点)状の小さな曲輪がついた
前回の訪問時、天浦城はこの通り左手辺りにあったと知りました。↓
もう少し続きます。↓
筑紫氏は戦国時代、鳥栖を中心に基山、筑紫野、那珂川から春日へと背振山地東部を支配した戦国大名です
その筑紫氏家臣であり天浦城城主の嶋鎮慶はというと、括弧書きで(嶋備後守忠成)とありました。備後は広島。つまりルーツは広島!?
といったところでお城訪問はおしまいです。城跡をあとに、そのまま散策ついでに『泉入口』の交差点を渡ってみると、↓
渡った先には「浄運寺」の看板があって、そこから先へ進んだ山門そばのところに、
おや!?通りの脇になにかを発見!
そう、こちら【庚申塔】。交通量の多い道路を車の過ぎるタイミングを見計らって、ばばばばばっと激写。それはそうと、ですよ。
【庚申塔】っていったいなんだったっけ!?
過去の記事を思い返してみる。たしか以前、福岡市早良区に鎮座する『猿田彦神社』のお話の中で、『庚申信仰』の話題に触れていました。↓
今回せっかくですので、あらためて【庚申塔】について調べてみることにしました。聞いてください。とはいっても、実は、いつもおなじみ筑紫野市の、
『筑紫野市歴史博物館』で配布されていた、
プリント『庚申塔』からの参照となります。(ありがとうございます)↓
中国道教では、人の体に虫がいて、60日ごとの庚申の夜、人が寝ているすきに虫が抜け出し天帝へ人の悪口を言って、人を早死にさせようとする。天帝はそれを聞いて寿命を決める。早死にを防ぐには、虫が抜け出さないように徹夜すること
この考えが奈良時代に日本へ伝来。民間信仰と結びついた結果、日本における庚申信仰となったのだそう。参照は続きます。↓
庚申塔は大別して神道系の「猿田彦大神」と仏教系の「庚申尊天」がある。道祖神や賽神、田神などさまざまな信仰と習合。最も強いのは作神としての信仰。田植が終わると、庚申塔と家内の荒神に苗3束を供えるという信仰が広く見られる
とのこと。
普段なにげなく接している【庚申塔】。知るほどに奥が深いものでした。(参照させていただきました。ありがとうございました)
終わります。
【浄運寺前庚申塔】
福岡県春日市下白水南4丁目