また水城院を訪ねてしまったから【水城院再訪問01】
先日『太宰府市文化ふれあい館』を訪ねた時のこと。↓
館内エントランスホールにて、【水城院】に関する資料がミニ展示してあったんです。↓
なんとはなしに見ていたけれど、知らないことばかりのお話で、大変興味深く見学したのでした。でもちょっと疑問というか気になることが。
どうして今【水城院】の展示なのか!?ひょっとして水城院ブームが来てるとか!?(※実際の資料自体は以前に製作されたものです)
そういえばもう長いこと【水城院】を訪問していません。(※以前訪ねたお話はこちら!↓)
その間に、界隈では大規模開発が行われ、隣接スペースにはおしゃれカフェが併設。
小生意気な店員が気怠い感じで注文を取り始めていたらどうしよう。そんなのもう【水城院】じゃない!
不安になってきたので、緊急で再訪問してきました。その一部始終である。こんにちは。
さて、吉松通りを歩いて青葉台入り口の交差点へ向かっていると↓
通り沿いにこんな説明書きが立っていました。
ちょっと読んでみますね。
神ノ前遺跡。水城跡の南に隣接するこの地は牛頸窯跡群という古代の一大窯業生産地の一部に含まれています。付近では6世紀末、7世紀中ごろ、7世紀後半から8世紀初めころの須恵器を焼いた登り窯が5基見つかりました
続きます。↓
このうち2号窯は須恵器と一緒に瓦を焼いた日本最古の瓦窯と考えられます。牛頸窯跡群に所在する大浦窯跡、月ノ浦窯跡などでもほぼ同時期の瓦が生産されており、その一部は『日本書紀』にみえる「那津官家」と目される那珂遺跡でも見つかっています
とのこと。こちらは説明書きに添えられた地図。↓
それから、説明書きに添えられた2号窯の写真。
さらに、説明書きに添えられた発掘時の写真も。注意書きには「道が拡幅され窯跡は失われています」とありました。↓
現在の写真と見比べてみると、恐らく歩道の辺りに3,4,5号窯跡があったと考えられます。↓
ちなみに左に見える階段を上った先にはお墓がありました。
(※那珂遺跡のお話はこちらでも!↓)
(※那津宮家のお話はこちらでも!↓)
それではあらためて【水城院】へ向かいたいと思います。
交差点からゆるやかな上り坂を進んでいくと
『水城ゆめ広場』の大きな看板があって、
そこから広場の中へ入っていくと案内が出ています。
広場一帯の地図。↓
そしてこちらは、地図に添えられた『思水園』の写真。昭和はじめのころ。↓
ああ気持ちの良い森の中。
足取り軽くスキップのステップでフットワークワンツーワンツー。お話の続きは次回に!よろしくお願いします。↓
【水城院跡】
福岡県太宰府市吉松3丁目17-1