間が悪いと色々ある【大隈言道屋敷跡(ささのや)】
ずいぶん前のことですけど、福岡市中央区の平尾地区にある『平尾山荘』(↓)を訪ねたことがあります。↓
こちらは勤王の女性歌人で知られる「野村望東尼」の山荘跡で↓
訪ねた折に知ったことなんですが、野村望東尼には歌の先生がいて、それは大隈言道という人物らしい。↓
また先日、福岡市中央区警固の『香正寺』(↓)を訪ねた時↓
お寺の境内にその大隈言道のお墓がありました。↓
そして今回、福岡市中央区の今泉地区に大隈言道の屋敷跡があると聞きましたので、さっそく訪ねてみることにしたのであった。
西鉄大牟田線の『西鉄薬院駅』から↓
薬院新川に沿って歩いていくと
「薬院記念公園」のところに案内が出ていて↓
そこから左に入っていくと、細くて交通量の多い通りがある。↓
その通りを渡った少し先のところに、三角形みたいな形の公園『今泉公園』があって↓
桜の感じがいい感じです。お昼時ということもあって、まったりとした雰囲気が漂っています。↓
園内先っぽのところに石碑がありましたが「大隈言道」とは関係がないみたい。↓
ちなみに石碑には『吉岡禅寺洞句碑』と書いてあり歌が刻まれていて↓
こがねむしが眠っている 雲たちはパントマイム
吉岡禅寺洞について調べてみると↓
明治22年(1889年)に箱崎で生まれ、本名は善次郎。今泉に移住。高浜虚子に心酔し、禅寺洞と号して俳句雑誌「ホトトギス」に投稿を続けて認められました。無季・口語の俳句を提唱し「ホトトギス派」から除名。新興俳句に大きな足跡を残し、昭和36年(1961年)今泉の自宅で病死。「季節の歯車を 早くまわせ スイートピーを まいてくれ」が辞世の句
とありました。
さて肝心の【大隈言道の屋敷跡】はといいますと
これがどこを探しても見つからない。↓
でもね、ちょっと気になることがあるんです。奥の方で工事やってて(2020年4月現在)↓
工事のパーテーションというか、仕切りのところに大隈言道の情報があれこれ記されている!!↓
とにかく案内板も石碑もないんで、wikipediaの大隈言道の項を参照します。↓
江戸時代後期の歌人で、池萍堂(萍堂)・篠廼舎、観水居などと号した。二川相近に師事して和歌を学び、30歳代半ばで独自の歌風を築いた。また、広瀬淡窓に師事して漢学を学んでいる。佐佐木弘綱、萩原広道などとも交友があった。歌集に「草径集」、「続草径集」がある
そして
今泉公園の東側に、大隈言道の旧居「ささのや」の跡があります。今泉の地に住み、その家を「ささのや」と号しました。昭和41年に旧居は取り壊されたけど、碑は有志の手によって「今泉公園」に移されました
『ささのや』。自分の家に自分で名前を付けるのはしゃれている。
一方、自分の家に勝手に名前を付けられたとしたら、ちょっと動揺する。
春だなあ。
【大隈言道屋敷跡】
福岡市中央区今泉1丁目9