水城からモンゴルへつながる道筋が【水城院】

前回の続きです。

ふと【太宰府市文化ふれあい館】を訪ねようと思い立ち、その道すがらに『国分尼寺』そして『陣の尾1号墳』へ立ち寄りました、↓

というのが前回のあらすじです。こんにちは。

それでは、元々の目的地である【太宰府市文化ふれあい館】へ向かうことにしましょう。今回はそのお話です。

『陣の尾1号墳』からさらに坂を上ると国分小学校が目の前に。ああ、きれいにカットされている!努力の賜物!!

学校正門前には、ミニバス?を利用したかわいいバス停(多分)も。

そこからさらに住宅街を抜けて、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちに

【太宰府市ふれあい館】に無事到着。

館内に入ると、特別な展示は開催されていなかったけれど、ちょっとしたミニ展示が行われていたので、なんとはなしに見ていたんです。

 

これらはどうやら『太宰府市公文書館』による資料展らしく

その中の一つに、おお!と気になる展示を発見。それは、かつて訪れたことのある謎の廃寺【水城院】に纏わるお話。

【水城院】というのは、水城ゆめ広場の森の中にある、

あやしげな廃寺というか荒地の跡で

以前、水城跡の西門を訪ねた時にたまたま見つけるや

すぐさま階段を駆け上ったのであった。

ということで、今回、当時のことを振り返りがてら、以前訪ねた時の自記事を参照してみると↓

門には「天下泰平 国家安全」と記されている。また石柱には「三界万霊」。水城院(すいじょういん)という廃寺跡で、大正13年(1924)に、高鍋日統という僧侶が中心となって「大陸発展、海外雄飛、大亜親交の道場」とする目的により建立された寺院の跡。大正15(1926)年、朝鮮総督斉藤実により、朝鮮全羅北道出土の梵鐘の寄贈を受ける。戦後しばらく活動していたが、その後廃寺に

ちなみにこれは、太宰府市文化財情報のHP(リンク切れ)からの参照で、それ以外のことは全く分からないまま、それきりになっていたんです。

からの、今回のこのミニ展示での出合いである。では

展示場所に置いてあった、持ち帰る用配布資料から参照させていただきます。ありがとうございます。↓

高原(日)家文書。日蓮宗僧侶高鍋日統関連の資料群。日統は中国に渡って布教を行った日蓮の弟子日持へ憧れを抱き、水城院(1924年建立)を拠点に大アジア主義思想の普及活動を行う

続きます。↓

大正14年、当時の朝鮮総督斉藤実が水城院を来訪。白村江戦の戦死者回向供養に臨席。朝鮮梵鐘を受贈

また↓

日統は志賀島の蒙古軍供養塔建立の中心的役割を果たす。モンゴルカラチン王の除幕式招待を計画するも失敗に。蒙古連盟自治政府主席徳王の供養塔参詣が実現、「蒙古教監督」になる

とのこと。ずいぶんモンゴルへの情熱を感じます。

ちなみに水城を訪れたもう一人の人物後藤新平とは、wikipediaによると↓

台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の南方・大陸進出を支えた人物だよ

なのだそうです。終わり。

【太宰府市文化ふれあい館】

福岡県太宰府市国分4丁目9-1

【大陸山 水城院跡(廃寺跡)】

福岡県太宰府市吉松3丁目17-1