清流公園から須崎公園まで歩く02【那珂川沿い】
前回の続きです。↓
前回はといいますと、『福博であい橋』から那珂川沿いを南下して、爽やかな風を浴びながら『キャナルシティ博多』まで駆け抜けたのであった。
ちなみに那珂川沿いの「須崎公園」から「清流公園」までの区間は、『リバーフロントnext』というプロジェクトによって快適に回遊できるよう整備されているとのことで
前回は、『三人舞妓像』を起点として、その半分(南部分)を歩きました。
今回は、前回とは逆向きに残りの半分(北部分)を歩いてみたいと思います。
では『三人舞妓』から出発!
通り右手には癒し系絵画が。日頃のストレスがすっきり解消です。これは大濠公園かな。↓
おもむろに振り返るとこんな景色。ちらりと見えているのは『福博であい橋』。↓
少し進むと、那珂川に『西大橋』が架かっています。そして左右に横切るのは「明治通り」。通りの手前のところに
説明書きがありました。が、いったいなんなの?↓
さっそく読んでみますね。↓
原田種夫。福岡市春吉に生まれた原田種夫は九州文学の発展に生涯を捧げました。北原白秋に師事し、火野葦平らと「九州文学」の土台を築く。福岡のとどまり中央文壇、地方文士のまとめ役として奔走
さらにそばにはでっかい碑が立っており
離れて見てみるとこんな感じ。↓
こちらも原田種夫にまつわるものらしく↓
人間。ひとをにくむなかれ にくむこころははりねずみ サボテンのとげのいたさである ゆるしてやれいたわってやれ
ひとのにくたいの一部には どうしても消えぬ臭い所がある それがにんげんが神でない印だ ゆるしてやれいたわってやれ
さらにこちらは『思い出の記』も。↓
機会があったら読んでみてください。私はあなたにお任せしたい!推測するに、多分色んな思い出が記されている予感!
あなたが読んでいる間に、私は先へ進みます。明治通りを渡った向こうには時計塔があって
さらに進むと今度は「昭和通り」。そして那珂川に架かるのは
当サイトではわりとお馴染み『西中島橋』。↓
渡って振り返るとこんな景色で↓
橋の真ん中から北を眺めるとこんな景色。↓
もちろん『枡形門』に関する説明書きもありました。↓
(※『枡形門』のお話はこちらで是非!↓)
さて「昭和通り」を横断してもっともっと先へ進むと、そこには『中島公園』があり
その園内にはこんな碑が。↓
『市川團十郎 博多来演之碑』と記されています。なんなの突然。特に説明書きもありませんでしたので、分かり次第ご報告するかも!?しないかも!?しないけど!!
そばの「大黒橋」を渡って↓
川沿いを歩きます。ん?目的地である『須崎公園』はあの辺なんだけどな?工事中?↓
とにかく川沿いを歩いていくと↓
石柱があって↓
すざきりょくち。↓
そして説明書き。
読みましょう。↓
須崎橋(旧洲崎橋)は明治44年に市内電車の為に架けられました。その後、昭和4年には電車軌道の両側に車道が設置された橋となりました。(電車軌道は昭和54年に廃止)。平成9年に洲崎橋は架けかえられ旧橋は取り壊されましたが、長い間、旧洲崎橋を守り歴史的に貴重な親柱(御影石造り)をここに現存します
電車用に橋を架ける→車道もつける→電車軌道廃止で車道のみ→橋全部を架けかえ。という流れ。
ここを左へ曲がって須崎橋を渡り、目的地である『須崎公園』へ向かいます。
これって?ひょっとして!?これが噂の天神bigban!?
『須崎公園』は現在改築中なのか、もしくは公園自体がなくなって別のなにかが出来るのか。何事なんです!?
いずれにしても公園内に入れませんので、隣りの県立美術館へ寄っておひらきにしたい。↓
美術館前のこちらは『裸婦』という名の作品。そういえば今回の散策は、街中アートから始まったわけで
散策の終わりも、こうしてアートで〆ることが出来ました。やったね!
読んでいただきありがとうございました。完。
【須崎公園】
福岡市中央区天神5丁目2