16ビートで山登ってみた【岩門城跡】

前回の続きです。(→映える隙がまったくなかった【高津神社】)↓

前回、【岩門城跡】を訪ね福岡県那珂川市へやってきました。そして山頂を目指す途中に『高津神社』へお邪魔したのであった。

今回はその『高津神社』社務所脇から【岩門城跡】を目指します。約200mの山城、そして別名『龍神山城』。それでは再出発!

登りはじめはきつかったけれど、空気はきれいだし鳥のさえずりは聞こえるし、低い山らしいから気持ちも楽です。

ここでwikipediaの岩門城の項を参照してみますね。

【岩門城跡】は、その築城の詳細は不明。古くは、平安時代に「安徳天皇」が岩門に滞在された際、その警備のために「大蔵種光」が築城したという言い伝えがあります。

そして↓

鎌倉時代の元寇では、太宰府を守る重要な拠点となりました。少弐氏の居城だったけれど、幕府の内乱(霜月騒動)の影響による少弐家の家督争い(岩門合戦)において、「少弐景資」は兄の「経資」に攻められてこの城で自刃したのでした。

その後↓

城主は変遷しますが、豊臣秀吉の九州征伐の時期に廃城となりました。

おや!?あれは井戸的な!?なんなんだろう。↓

誰もいない山の中。日ごろの想いをラップにのせて歌ってみたり。

道中には案内のノボリが立っているので、道に迷うことなく安心です。

急な上り道ではつい歌声も途切れがち。



リリックにも影響が出がち。ふうふう言うところをヘイヘイ言いながらなんとか登っていると

『三の曲輪(くるわ)』という案内板を発見。↓

説明書きがなくなっていたので、私が以前訪れた時に撮っていた写真も合わせてご紹介したいです。

曲輪というのは↓

郭(くるわ)とも書きます。これは「軍事的・政治的な意図を持って、削平・盛土された平面空間」のこと。

その先には『二の曲輪』。↓

こちら説明板。↓

そして今度は『堀切』という案内板が。↓

外敵の侵入防止や遅延のために曲輪や集落の周囲や繋ぎの部分を、人工的に開削して溝(堀)するもの

だそうです。↓

上り坂に岩がごろごろっとあって↓

今度は『主郭』。これは↓

日本の城の中核となる曲輪(くるわ)の名称である。「本丸」「一の曲輪」「本曲輪」「一の丸」とも称される。
中世の山城では、本丸に当たる「主郭」に大将が居する陣屋を置き、戦時や城に立て篭もるときは麓の館から「主郭」の陣屋に入って指揮を執った。

とありました。↓

説明板。↓

この先には『北の曲輪』があって↓

展望台になっている。そう、ようやく到着というわけです。お疲れ様でした。↓

展望台にはベンチと説明板と

そして眼下に広がるこの絶景。

那珂川シティとその歴史がまるまる一望できるといった感じ。

「安徳天皇」が滞在されたという仮の御所「安徳台」、日本書紀に記述がある用水路跡「裂田溝(さくたのうなで)」(→立ち塞がった大岩は祈るが吉【那珂川裂田溝02/03】

そして少し遠くには「現人神社」も。(→ここから始まるお【現人神社】

満たされた気分での下山だけど、途中で分岐する場所があるので、くれぐれも気を付けて!!

しばらく進むと池が見えてきました!!池!?I KE!?↓

道間違えた!!やば!!

どうやら別の山道に入ってしまっていたみたい。しかも、その山道というのが、スタート地点で見つけていた【高津神社】を通らない左へ進む登山道。ミラクル!!

そうこうしているうちに、元の登山口に無事戻ることができました。地元の仲間に感謝。マジリスペクト。

登って下りて歌って1.5時間くらいだったでしょうか。気軽に登れる山城はとても楽しかったです。

でもね、蚊と蜘蛛と蛇はガチ、これはほんとにガチよ。gachi of gachi。ヨロシク。


【岩門城跡】

福岡県那珂川市山田